「妊婦の旅行はダメ」という医者は大問題…医師・岩田健太郎「科学的根拠が弱い健康中心主義の残念さ」
2025年が始まった。心身ともに健康をもたらすための医療とは何か。感染症医の岩田健太郎さんは「医者が一方的に自分の価値観を押し付ける『健康中心主義』あるいは『医療中心主義』は、一見、正しそうに見えるだけに問題が多い」という――。 【写真】トラベル・メディスンが発展した要因の1つである大西洋奴隷貿易 ■妊婦の旅行に警鐘を鳴らす根拠とは 「マタ旅」という業界のジャーゴンがある。ご存じだろうか。 「マタ」とはマタニティーのこと。妊婦が旅することを、一部の産婦人科医などが「マタ旅」と呼んで問題視しているのである。 日本では、多くの産婦人科医がマタ旅に否定的な見解を持っている。「マタ旅」で検索すると、そういう見解をブログやSNSでたくさん見つけることができる。 妊婦は、妊娠しているがゆえの健康懸念を持っている。それが旅行の安全性に影響を与える。例えば、出産が近づいた妊婦の場合、脚の静脈に血栓ができやすくなる。そのリスクは妊娠していない人物のそれよりも高いのだ。 実際、産婦人科医の中には、妊婦が旅行中に健康を害し、その妊婦が受診したことでキモを冷やした経験を持つ者も少なくないようだ。千葉県にある「巨大テーマパーク」に行った妊婦に生じた健康問題をまとめた論文があり、妊婦の旅行に警鐘を鳴らす根拠となっている(*1)。 この論文では、2007年から2010年までに当該医療機関を受診した129人の妊婦をまとめている。その4割以上は切迫早産であり、15.5%で入院が必要となったが、8割以上の患者は軽症で入院を要しなかった。新生児集中治療室(NICU)での新生児ケアを要したケースが6例あり、1例で新生児死亡があったという。 *1 今野秀洋et al. 「妊娠中の旅行に関する危険性 : 東京近郊にある巨大テーマパークからの産科緊急受診に関する検討より」『日本周産期・新生児医学会雑誌』 Maternal transportation from a huge amusement park : Risk of travel during pregnancy for pregnant women and a regional maternal care system Journal of Japan Society of Perinatal and Neonatal Medicine 2012; 48:595–600. ■「医療中心主義」の問題性 昨今では医者・患者関係は対等なものと考えられ、昔に比べて医療界のパターナリズムの影響は激減している。とはいえ、現在でも日本では諸外国に比べてこのパターナリズムが強いと感じる。 正義感が強く、「人が好き」で、「正しい医療」にこだわる医者ほど、その陥穽(かんせい)に陥りがちで、「医学的に正しいから」と妊婦に旅行するな、などと言いがちだ。 そもそも、先述のようなデータを吟味する限り、その言説の科学的妥当性にも問題はあるのだが。それを差し置いても、患者の権利、患者の価値を一方的に医者側が規定するのは問題である。 健康や生命は貴重な価値だが、価値の全てではない。お金も、友情も、快楽も、そして旅行もいずれも大事な属性である。なにがなにより大事かは、個々人によって異なるだろう。医者が一方的に自分の価値観を押し付ける、「健康中心主義」あるいは「医療中心主義」、英語で言えばメディカリゼーションは、一見、正しそうに見えるだけに問題が多い。