「妊婦の旅行はダメ」という医者は大問題…医師・岩田健太郎「科学的根拠が弱い健康中心主義の残念さ」
■「ほとんどの妊婦は安全に旅行できる」 そこで、妊婦である。例えば、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)の渡航・妊婦の項を見ると、「妊婦は特別な配慮が必要だが、ちゃんと準備すればほとんどの妊婦は安全に旅行できる」とある(*2)。つまり、先程の「マタ旅」議論とはずいぶんと口調が異なるのだ。 なぜ、彼我(ひが)でこのような考え方の違いが生じるのか。 妊娠中に飛行機に乗った人と、乗らなかった人を比較した研究が実際にあるが、妊婦と新生児の予後には両者に重大な違いは生じなかった(*3)。 そこで、先に引用した千葉県の論文である。まず、大事なのは比較である。テーマパークに行った妊婦で受診した妊婦は、「テーマパークに行ったがゆえの」受診かどうかは、比較してみないと分からない。上記のように比較研究では意味のある差は見られず、千葉の論文の根拠は弱い。 また、「分母」も大事である。テーマパークに行ったが受診しなかった妊婦は何人いただろうか。受診率は何%であったのか。そこを検討しないと、「妊婦がテーマパークに行くことの意味」は分からないだろう。 *2 Pregnant Travelers CDC Yellow Book 2024 *3 Shalev Ram H, Ram S, Miller N, Rosental YS, Chodick G. Air travel during pregnancy and the risk of adverse pregnancy outcomes as gestational age and weight at birth: A retrospective study among 284,069 women in Israel between the years 2000 to 2016. PLoS One 2020; 15:e0228639. ■論拠に必要な「分母」と「比較」の考え方 われわれ臨床医は、重症患者という「分子」を見てしまうがゆえに、その患者の行動を危険視し、ときに全否定してしまう。バイク事故をよく見ている救急医のなかには「バイクに乗るなんて非常識だ」とバイクを全否定する人がいる。われわれも、そういう多発外傷患者が感染症を合併することをよく見ているので、その心情はよく理解できる。 しかし、バイク運転をする人の大多数は事故を起こしていないし、多発外傷にも至っていない。「現場を見ているがゆえの」バイアスである。「現場の肌感覚」はときに、理性的、合理的な判断を誤らせかねない。 多くの産婦人科医は、HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の接種後に「さまざまな症状」を訴えた方々の問題を、このように理性的に検討したはずだ。症状がある人だけではなく、接種者全体という「分母」の考え方が大事、そして「比較」が大事。当然「マタ旅」問題についても、同じ原則を適用するべきだ。