今知りたい「合理的配慮」とは? 車椅子ユーザーの猪狩ともかとインクルージョン研究者野口晃菜と語り合うバリアのない未来
「合理的配慮」の提供を求めることは、「わがまま」になる?
野 先ほど猪狩さんから、「強く主張できる人ばかりではない」という話があったのですが、本来であれば、当事者が求めなくても、暮らしやすい社会であるべきなんですよね。まだバリアフリー化が十分に進んでいないから、今できることをやろうというのが「合理的配慮」の提供。つまり、プラスアルファの何かをするのではなく、これまでの格差を埋めるためなのですが、当事者が「合理的配慮」の意思表明をすることが、「わがままだ」、「マイノリティの特権だ」、と非難されることがあります。もしかしたら、自分の不都合を我慢して飲み込んでいる人ほど、そう感じるのかもしれません。例えば、私のように子育て中の人が、平日夜のオンライン会議に子どもの同席を求めることも、「合理的配慮」の提供と同じ発想で必要なことだと思うのです。多くの人が何かしらの事情を抱えていて、ルールの変更が必要だったり、障壁を取り除く必要があったりするのではないでしょうか。それに対して、初めから我慢をしたり無理をするのではなく、意思表明をして、どこまでだったら可能なのか、難しいのであればなぜ難しいのかなど、話し合うことを当たり前にしていかなければいけないなと思います。 猪 日本には、「我慢が美徳」のような考え方も根強いですよね。実際に私もそうで、我慢すればいいやと思ってしまうタイプです。でも、言わないと社会は変わらないから、勇気を出さないといけませんね。ただ、障がいのある人たちも、一方的な要求にならないように、対話する姿勢を見せることは必要なのかも。私も発信するときは、言葉の使い方には注意をしています。 野 難しいのは強い表現をしないと、非当事者は注目をしないということですね。2016年に話題になった「保育園落ちた日本死ね‼︎!」は、あの表現だからこそ注目され、結果的に待機児童問題が解消に向かうきっかけになりました。ただ、当事者が、リスクを背負ってまで発言しないといけないのはおかしいと思います。 ――「合理的配慮」を求めている場面で、周囲にいる人ができることはありますか? 猪 当事者から助けを求められた場合は、手助けしてくれるとうれしいです。以前、電車で車椅子スペースに行こうとしたら、乗客がたくさんいて動けなかったことがあったんです。たまたま近くにいた方が、「車椅子の方がいるので、譲ってください」と声を上げてくれて、助かったことがありました。だから、駅のエレベーターを譲ったり、第三者が周囲に一言かけたりするだけでも助かる場面はたくさんあると思います。 ――可視化できない障がいを持っている方に対して、どのような配慮をすべきだと思いますか? 野 何がバリアになっているのかはその人によって異なるので、まず、意思表明があったら耳を傾け、対話することが必要です。例えば、聴覚過敏の人が、出社するよりリモートで仕事をしたいと申し出たとき、「自分もそうだけど、そういうときは耳栓を使えばいいよ」、「窓際は静かだよ」と問題を一般化したり、矮小化したりせずに、本人の社会的障壁に耳を傾け、ひとつずつ解消する方向で考えていけたらいいですよね。いずれにしても個人として対応するのではなく、組織として「合理的配慮」のための窓口やマニュアルを作ることが必要です。