なぜ「最も批判され最も愛された」セレッソの大久保嘉人は引退を決意したのか…涙の会見で語った真実とは?
セレッソを皮切りにマジョルカ(スペイン)、ヴォルフスブルク(ドイツ)を含めて延べ12のクラブでプレー。川崎フロンターレに移籍した2013シーズンからは3年連続得点王を獲得し、通算ゴール数も歴代最多の「191」に到達させた。 闘争心あふれるプレーをトレードマークにしてきた一方で、提示された「104」のイエローカードも歴代最多で、宣告された「12」もの退場処分も同2位となる。これらを介して生まれたイメージを、大久保自身は「汚いプレーヤーでした」と表現した。 ネガティブに聞こえる言葉に、しかし、大久保は最大の矜恃を込める。 「普段のときとはまったく違う性格を、サッカーで貫き通せた。いろいろと言われたし、子どもたちが真似をしない方がいいところもたくさんあったけど、それもサッカーだと思っていたので悔いなくサッカー人生を終えられる。いまは幸せです」 対戦チームの選手たちに、試合を裁く主審や副審に、そして味方の選手たちに対しても必要があれば厳しい言葉を投げかけ、時には醜悪に映る態度を取ってきた。 「おそらくめちゃくちゃ切れていたので、悪い伝え方になっていたと思います。もっと落ち着いてプレーすればもっといいプレーができるのに、と何度も言われてきましたけど、大人しくすれば自分のプレーも大人しくなるとわかっていたので。だからああいう感情を出して自分にも力を、エネルギーを出すことができたのかなと」 いつしか「やんちゃ」という言葉が定着した、負けず嫌いにも通じるピッチ上の立ち居振る舞いを、大久保は申し訳なさそうに振り返った。ただ、悪い意味で目立てば必然的にプレッシャーは増す。結果として生まれる逃げ道がなくなる状況こそが、元来は泣き虫の大久保に、一本の細い糸で繋がれたサッカー人生を歩ませてきた。 「自分は逆境に立ち向かっていかないと、力が出ないタイプなので。例えば自分がこのままならばはい上がれないなと思ったときには、自分へプレッシャーをかけるようなことを記者のみなさまへ言っていろいろと書いてもらったこともありました」 大久保がプロになったときの目標だった、元日本代表で、いま現在はセレッソの社長を務める森島寛晃氏をはじめとする報告を受けたセレッソ関係者や、日本代表を含めて同じ時間を共有した盟友たちは、異口同音に「まだできるだろう」と第一声を発した。