なぜ「最も批判され最も愛された」セレッソの大久保嘉人は引退を決意したのか…涙の会見で語った真実とは?
セレッソ大阪の元日本代表FW大久保嘉人(39)が22日、大阪市内のホテルで引退記者会見に臨んだ。 国見高(長崎)からセレッソ大阪に加入し、プロの道を歩み始めた2001シーズンから「自分が動けるうちに、まだまだできると言われるうちにやめたい」と引き際を思い描いてきた大久保は今月16日に引退を決断。今シーズンから実に15年ぶりに復帰し、来シーズンへ向けて契約延長のオファーも出していたセレッソ側へ報告した。 J1リーグで歴代最多の通算191ゴールをマークしている稀代の点取り屋は、同じく最多の104枚となるイエローカードをもらい、同2位の12度の退場処分を受けた自身のキャリアを「汚いプレーヤー」と表現。ネガティブに聞こえる言葉に最大の矜恃を込めて、天皇杯を含めて最大で4試合を数える、残された公式戦で完全燃焼を誓う。
「まだまだできると言われるうちにやめたい」
プロサッカー選手のなかでも限られた者だけが臨める、引退記者会見という一世一代の舞台へ。大久保が立てていた誓いはスタートから十数秒で崩れてしまった。 スーツ姿でひな壇に座り、短い挨拶を済ませて「大久保嘉人は……」と言葉を途切れさせた直後だった。右手に握り締めたセレッソカラーのピンク色のハンカチでおもむろに目頭を拭い、引退を報告した大久保は思わず照れ笑いを浮かべた。 「泣かない予定やったんですけど、ソッコーで泣いてしまいました。すみません」 前人未到のJ1通算200ゴールへカウントダウンに入り、セレッソ側も契約延長のオファーを提示。40歳を迎える来シーズンもまだまだ勇姿が見られると周囲から思われていた今月16日に、大久保は自身の哲学を貫く形で決断を下した。 「本当に最近のことなんですけど。プロになって20年間、苦しい思いの方が非常に強くて、それを周囲に見せてはいけないと思ってきたなかで、本当に細い糸が一本ぎりぎりで繋がっている、という状態でずっとプレーしてきた。そのなかで一人になったときに、ここでやめた方がいいのかなとふと思い、その場で『いまだ』と決めました」 大久保が抱いてきた哲学とは、イコール、引き際の美学となる。 「プロになったときから、自分が動けるうちに、まだまだできると言われるうちにやめたい、というプランが自分のなかにあった。実際にそうなるのかどうかは自分次第だし、引退会見をできるような選手になれるとは思っていなかったんですけど」