東大卒・山口真由「都会ではハードルが高すぎる」いつの間にか高級な体験になった、子どもの“自然体験事情”
信州大学特任教授で、法学博士・ニューヨーク州弁護士の山口真由さん。東大卒の才女として様々なメディアで活躍するが、Xでのつぶやきはコミカルで飾らないものが多い。現在は1歳の子どもを育てながら仕事や家事との両立している。そんな慌ただしい日々に感じたことを、不定期で連載していただく。 「都市部と地方で、子どもの体験費こんなに違うの!?」親が知っておくべき「体験格差」のリアルとは? 今回は、北海道で育った山口さんの幼少期と、現代に都会で育つ子どもたちの「自然」との関わり方の大きな違いについて。
都会では、「自然」はお金をかけて子どもに体験させるもの
昭和の終わりごろ、北海道の地方都市に生をうけた私は、令和の時代に東京で子育てしている。高齢出産が増えたとされる今日このごろ、考えてみれば、私と子どもとの間にはおよそ40歳の年齢の開きがあるのだ。そして、子どもを育てるというのは自分にもこういう時代があったと追体験することであると同時に、この40年という年月の埋めがたいギャップを感じる経験でもある。 子どものころの私も保育園に通っていた。当時、住んでいた真駒内は、札幌でも郊外に位置し、広い土地と豊かな緑があった。そのため、保育園の園庭も公園とはいかないまでもそれなりの広さを誇っていた。晴れてさえいれば、園児たちはそこで午後中ずっと遊んでいた記憶だ。 その園庭にはさまざまな植物が植えてあった。そして植物こそが園児たちの最大の遊び道具だった。ドウダンツツジの小さなスズラン型の花を手に取って蜜を吸ってみたこともあるし、あと一段あと少しと手をかけて木登りを続けるうちに意外と高くまできてしまい、足がすくんだ経験もある。木の根元にある大きめの石をよけると、ワラジムシやダンゴムシがわーっと逃げていく。その1つを捕まえて、ちょっと赤みがかったワラジムシに「あかねちゃん」という名前を付けて、親指と人差し指でちょこんとつまんで保育士さんに見せに行ったりもした。 幼き日の私にとって、自然とは言ってみればもっとも安価な遊び場だったのだ。 それがいま都会の子どもたちにとって、自然は大人たちが手を掛けお金を掛けてあえてさせる高級な体験になっているようだ。