つらい時に聴くと「自分を肯定してくれる」――緑黄色社会の音楽に集まる共感
穴見が加わったのは約1年後。2歳上の小林とは母親が共にダンス講師で仲が良く、「生まれた頃から一緒」と穴見は言う。2歳からクラシックバレエを習うなかで音楽に親しみ、両親の影響でブラックミュージックも好きだった。ギターを買った小林を見てバンドに興味を持ち、中学に入ってベースを始めるとYouTubeを教材に練習した。 穴見は小林のバンドを見るために文化祭を訪れて、衝撃を受ける。 「『体育館のスピーカーが壊れるんじゃないか』みたいな歌で、殴られたような感覚でした。(小林)壱誓から『(長屋は)うまいよ』とは聞いてたんですけど、想像を超えて、今まで生で聴いた人の中で一番うまいと思いましたね」 小林からバンドに誘われると、二つ返事で参加。穴見が入ってすぐ、「閃光ライオット」への出場を目指してオリジナル曲の制作を始める。閃光ライオットは10代アーティスト限定の「音楽の甲子園」で、バンドの登竜門となっていた。
初めてスタジオに集まる日、小林は行きの電車で思いついた歌詞を提案した。これが最初の曲「マイルストーンの種」となり、10年後、日本武道館でも披露することになる。 「当時はまず、『こんなに言葉が出てくるのはすごい!』って。そこからみんなでアイデア合戦みたいに。にやけてしまうようなワクワクする感じがありました」(長屋) 「高揚感しかなかった。『自分の人生が開いたかもしれない』と思いました」(穴見) 1万通を超える応募の中から審査を勝ち抜き、2013年8月、日比谷野外大音楽堂で開催された閃光ライオットに出場。準グランプリを受賞する。
20代を迎え、解散の危機を乗り越えて
高校卒業後もバンドを続けながら、愛知県で大学に進学した。在学中に活動が本格化し、2018年11月にメジャーデビューを果たす。長屋、小林、peppeが大学を卒業した年だった。就職する同級生を見ても迷わなかったとpeppeは言う。 「大学入学の時は、私は就活するんだろうなって思っていたんです。でも、その気持ちが自然と薄れていった。不安の中に、音楽に対する根拠のない自信がちょっとあったんです」 ところがしばらくして、長屋は焦りを感じるようになる。解散の話を持ちかけたこともあった。 「卒業して数年は宙ぶらりんな感じがありました。成長しているはずだと思うんだけど、分かりづらくて。バンドとして停滞していて、もどかしかった」 小林はこう振り返る。 「僕はやめたくなかったけど、意地になって『やめます』と言った。そしたらバンドのディレクターが電話をくれて、『今のバランスみたいなものが崩れたら、うまくいく未来が見えない』と。男泣きしました」 解散の危機を乗り越え、2020年、4人は上京した。