文人として名をはせた紫式部の父・藤原為時
1月14日(日)放送の『光る君へ』第2回「めぐりあい」では、成人したまひろ(のちの紫式部/吉高由里子)の姿が描かれた。殺害された母の死因を隠蔽する父・為時(ためとき/岸谷五朗)との関係が冷え切る一方、まひろは従事する代筆の仕事に生きがいを感じていた。 ■6年の時を経て運命の二人が再会する 母を殺されてから6年後の984(永観2)年、まひろは成人を祝う儀式を迎えた。まひろと父の藤原為時との確執は続いており、母の死後、二人はほとんど口を利いていない。そんななか、まひろは父に内緒で和歌や恋文の代筆の仕事を手掛けるようになり、この仕事に生きがいを感じていた。 一方、元服した三郎(さぶろう/柄本佑)は従五位下、右兵衛権佐という位を得て藤原道長(ふじわらのみちなが)を名乗っていた。姉の詮子(せんし/あきこ/吉田羊)は円融天皇(えんゆうてんのう/坂東巳之助)の皇子・懐仁(やすひと)親王を産み、兄の道隆(みちたか/井浦新)、道兼(みちかね/玉置玲央)も官職を得て、上級貴族として順調に昇進している。 ある日、まひろは仕事帰りに偶然、散楽を見物していた道長と再会する。6年前の母が殺された日に待ち合わせの約束を違えて以来の邂逅(かいこう)だった。二人はまひろの職場でまた会うことを誓って別れた。 娘の詮子を入内させた藤原兼家(かねいえ/段田安則)だったが、娘が円融天皇に遠ざけられていた上に、次の天皇となる予定の師貞親王(もろさだしんのう/本郷奏多)の人徳のなさを知ると、さらなる権力の高みを目指すべく、兼家は道兼に密命を出したのだった。 ■不遇の時代が長かった官僚詩人 藤原為時は、藤原北家良門の流れをくむ藤原雅正(まさただ)の三男として誕生した。父の雅正は、地方に赴任して行政を担当する受領などを歴任した下級貴族。母は右大臣を務めた藤原定方の娘だった。 為時の生没年はともに不詳。一説によれば、949(天暦3)年生まれ、1029(長元2)年頃没とされている。 菅原道真(すがわらのみちざね)の孫である菅原文時(ふみとき)を師と仰ぎ、学問に秀でた。中国の歴史や詩文を学ぶ文章生と呼ばれる学生を経て、蔵人所雑色、播磨権少掾などを歴任。977(貞元2)年に東宮・師貞親王の御読書始副侍読に就任した(『日本紀略』)。 ドラマでは藤原兼家の手引きによって宮廷入りしたことになっているが、二人がこの時に出会っていたかどうかは定かでないらしい。副侍読就任は、文時の推薦や、為時の妻の従姉妹と結婚していた藤原義懐(よしちか)の後押しがあったと考えられている。