映画「本心」主演・池松壮亮さんインタビュー AIで亡き母と再会する近未来「誰もが自分ごと」
人間の領域が変わろうとしている複雑さ
――生身の人とVF、両方の母親を演じた田中裕子さんとのシーンで、特に印象深かったシーンを教えてください。 全部印象に残っていますが、やっぱりVFになった母との再会の場面ですね。おそらく数年後自分たちが経験するようなシチュエーションなのだと思います。人が人を作るというのは恐ろしいなと思います。そこに倫理や道徳が及ぶとは思えません。亡き人と脳内で再会するということは、僕自身もこれまで沢山考えてきましたし、そうした死の克服は人類が夢見てきたことだと思います。神の力を持つテクノロジーと共に生きることで人間の領域が変わろうとしている複雑さと、それでも再会できたという純粋すぎるほどの喜びは、心が震えるような感覚がありました。 ――生きていた時もVFの時も、田中さんとは対面での撮影だったのですか? 全て対面で撮影しました。生きている時の母と、VFになった母の違いは、田中さんの演じ分けと後からのCG作業によってとてもアナログ的に生まれています。田中さんが朔也を翻弄するように母の愛情とAI的なものを混ぜ合わせて見事に演じてくださったと思っています。
人の「本心」はとても多面的
――テクノロジーが進化した先に、AIが暴走したり、ヴァーチャルに慣れた人々が犯罪をしたりしてしまうような世の中になったら怖いと思いながらも、さらに進化を続けている今の世の中をどう受け入れて、進んでいけばいいのかと考えます。本作のテーマの一つでもある「自由死」という選択も含めて、これから先の未来をどう考えますか? テクノロジーによって「死」を克服する時代に入り、そこに自由死の選択も進んでいくことで、「なぜ人が生きるのか、なぜ人が死ぬのか」という死生観も変わってくるような気がしています。時にいまある道徳も倫理も通用しないのではと思ってしまいます。僕も今のところ恐ろしい想像しか生まれていないのですが、でもきっと、人間の欲望の先には正しい「選択」や「未来」も同時にあってくれると願っています。 ――池松さんが今思う、自分と他者の「本心」との向き合い方を教えてください。 誰かの本心を知りたいという欲求はこれからも変わらないと思います。でも、やっぱり分かるはずがないですよね。だって自分の本心すら分からないですから。 ――私は本作を見て「分からないままでいいのかな」と思いました。 そうですね。わからないことを前提として、他者の本心と向き合うことの誠実さに惹かれます。その人の「本心」もひとつだけではなく、複雑で多面的なものだと思います。その実態は、きっと一生分からないものかもしれません。