遺伝の確率は50%、まさか姉妹2人が乳がんに! 転職したてのシングルマザーの私が、「母」として「女性」として立ち向かった【乳がんサバイバル記】
人毛100%使用の医療用ウィッグを開発した株式会社SUMIKILの野中美紀さん。実はご自身も医療用ウィッグを使用している、がんサバイバーです。 【データ】更年期の始まりのサインと気づいた年齢は? お姉さんの乳がんが契機となり、ご自身が「遺伝性乳がん卵巣がん症候群」であるとわかりました。その後、乳がんが見つかり、左胸の全摘出、乳房再建手術を受けました。 新卒からキャリアを積んできた野中さん。医療用ウィッグ開発に至るまでの半生を語っていただきました。
働く女性・働くママとしてキャリアアップ
松山大学卒業後、新卒で愛媛県から上京し、卓球メーカーに就職。国内営業チームを経て、研究開発チームのアパレル担当になり、約13年勤務。そのあいだに結婚、出産をしたという。 「26歳で結婚し、翌年娘を出産しました。開発チームにいたときなので仕事はハードでしたね。保育園時代は朝送りはだんなさんが担当。私は9時~18時で働き、19時半に娘のお迎えに行って21時に寝かしつけ。だんなさんが帰ってきたら23時にまた出社して、会社で4時~8時に寝るといった生活をしていました。 そして2000年、国内のAIGグループ会社に女性管理職としてスカウトされました。女性リーダーは私だけ。男性が9割の会社でしたが自由な働き方の社風のため、子育てをしながらも無理なく働き続けることができました」
4歳上の姉が35歳で乳がんに
2006年、愛媛に住む4歳年上のお姉さんに乳がんが見つかりました。しっかりもので強かったお姉さんの弱っていく姿に、離れて暮らしていた野中さんはなにもできない無力さを感じたそうです。 「姉からは電話で報告されました。“乳がんになっちゃって……”と低いトーンで。話をしていくうちに泣き出していました。親の次に、妹の私に報告したようです。当時、姉は仕事を辞めて専業主婦。がんは進行していて、当時のステージⅡA、しこりの大きさは約3センチ。リンパ節転移なし。がん細胞の”顔つき”が悪く、進行性が高いタイプと判断されました。トリプルネガティブ乳がんでした。 トリプルネガティブとは、乳がんの分類(サブタイプ)のひとつで、ホルモン受容体であるエストロゲン受容体とプロゲステロン受容体、そしてHER2のタンパク質の過剰発現や増幅も認められない乳がんです」 「姉が乳がんに気付いたのは、当時2歳半だった姪が、姉の胸に頭突きをして痛くて触っていたら胸のしこりを発見。乳頭から分泌液もあったそうです。 いつも元気で強かった姉の心が不安定になっていく様子に、何もできない無力さを感じました。でも治療方針が決まってからは前向きでしたね。姉は胸を全摘出、乳房再建なし、抗がん剤治療を8クールしました。当時は吐き気など抗がん剤の副作用に対する補助的な治療がまだ整っていなくて、治療はつらかったようです」