遺伝の確率は50%、まさか姉妹2人が乳がんに! 転職したてのシングルマザーの私が、「母」として「女性」として立ち向かった【乳がんサバイバル記】
姉が「遺伝性乳がん卵巣がん症候群」、自身も遺伝学的検査を受ける
野中さん自身はお姉さんが乳がんに罹患したのをきっかけに、がん研有明病院で1年に1回乳がん検診を受けていました。乳房の石灰化を指摘されて1年後に精密検査を受ける予定だったところ、お姉さんが乳がん再発。 「乳がん検診で見つかる石灰化は、乳腺の中にカルシウムが沈着した状態。良性でも悪性・乳がんでもみられることがあります。悪性の疑いがある場合や良性・悪性の判断がつかない場合に要精密検査になるそうです。 姉には、セカンドオピニオンとしてがん研有明病院の受診をすすめました。がんの異常な進行スピードとレアなタイプが重なり遺伝学的検査を受けることに。遺伝性のがん(遺伝性腫瘍)のひとつ、「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」と判明。そして私も遺伝学的検査を受けた結果、同じ「遺伝性乳がん卵巣がん症候群」だとわかりました。 「遺伝性乳がん卵巣がん症候群」とは、遺伝子変異により、特定のがん細胞を阻害する免疫細胞が体内で作られない体質のことです。病気ではないが、毎日何万も作られるがん細胞を破壊する免疫細胞が作られないため、乳がん・卵巣がん・前立腺がん・すい臓がん・腹膜がんなどの発症率が高いそう。しかも進行も早いという特性を生まれつき持っている ※ のだそうです」 ※参照:明石定子. 日本医事新報. 2016; 4817: 3.
2015年自身にも乳がん判明、娘と母には言わず…
野中さん自身も遺伝性乳がん卵巣がん症候群とわかり、1年後の予定だった乳がん検診を半年前倒しに。 そして2015年3月、乳がんが判明しました。遺伝性乳がん卵巣がん症候群とわかってから約半年後のことです。 「乳がんとわかるまで半年あったので、そのあいだにとにかく必死に情報収集していました。だから素直な感想は”来たか”でした。怖い、残念より、”やっぱり”という気持ちでした。青天のへきれきではなく、少し覚悟がありました。」 野中さんには娘さんがいます。入院のあいだ娘さんの面倒を見てもらうため、お母さんに愛媛から上京してもらっていたそう。 「娘は当時中2でしたが、がんということは言っていません。手術が決まったときも言えませんでした。私自身、体調も元気だし、しこりもないし、娘にがんと気付かれることもありませんでした。娘が10歳のとき離婚していたので2人暮らしでしたが、”2週間入院するからよろしく”という感じで。離婚していなければ娘には伝えたかもしれません。13歳の多感な時期ですし、一人しかいない親ががんになったという事実は重すぎると思いました。私もがん患者の家族側の立場を経験して、そのつらさを知っていたため、なおさら不安にさせたくないと」 入院中、母に来てもらいましたが、実は母にもがんと言っていません。違う病名を言って、手術入院のときは上京してもらいました。姉妹で遺伝性乳がん卵巣がん症候群で、母方か父方、どちらの遺伝かわからなかったので。伝えることで自分を責めてしまうかもしれないと思って伝えませんでした。姉にも当時は言わず、手術から2年後に伝えました」