iPadのCM大失敗におじさんはうなずく
iPhone(2007年~)は、それまで存在しなかったスマートフォンという商品分野を切り開き、全盛を誇っていた日本製高機能携帯電話を、「ガラケー」として一気に時代遅れにした。それどころか、いつでもどこでもネットという特性で、「通勤電車内で本や新聞を読む人がいなくなり、みんなスマホをちくちくしている」というような生活習慣の変化まで引き起こした。iPad(2010年~)は、タブレットという新しい商品分野を切り開き、キーボードを使わないコンピューター利用を一般化した。 では、ジョブズ復帰以降のアップルが失敗していないかといえば、そんなことはなくて、「Power Mac G4 Cube」(2000年)という大失敗作も発売しているのである。透明な立方体の筐体を持つ大変凝ったデザインのパソコンで、発売時にジョブズは「息をのむほど美しい」と自信満々でプレゼンした。しかし、故障が多く、拡張性にも問題があり、1年で販売中止となった。 アップル復帰後のジョブズ――と、ここでアップルとジョブズをひっくり返すわけだが――が犯した最大の失敗は、2003年に膵臓ガンが見つかった時に、9カ月間、きちんとした治療を受けずに代替医療という名のインチキに頼ってしまったことだろう。その後手術を受けたものの、進行したがんは転移し、2011年10月5日に56歳で死去した。 実に偉そうな言い方になるが、ジョブズを継いだティム・クックは、かなりうまくやっていると思う。 「Apple Watch(2015年~)」は「携帯電話がスマート化したなら、身につけるものとして次は時計のスマート化だよね」という点で、発想に飛躍はない。が、手堅い展開だ。そしてMacにとって3度目となるインテルCPUからアップルシリコンへのCPU変更は、単にCPUが消費電力の小さいARM系に変わったという以上に、画像処理に代表される大量の単純演算に特化したGPUというチップと、CPUとが共に同じメモリーにアクセスでき、動作を高速化できるユニファイドメモリ・アーキテクチャへの採用に大きな意味があった。 その一方で、2024年2月には、10年間も莫大な投資を行って研究を続けてきた自動運転車からの撤退を社内発表した。大失敗である。 ●アップルに小さな失敗は似合わない こうやってアップルの失敗の歴史を見てくると、新型iPad広告に対する「がっかりだ」という一般の反応の内実が見えてくる。 あの広告には美学がない。別の言い方をすれば狂気が見えない。「楽器も画材もおよそクリエイティブな作業は、全部iPadでできますよ」――そんな広告は、iMacが市場を席巻した時に、スケスケのボディの真似をしたような連中に任せておけばいい。実に「小さな」失敗である、アップルらしくない。 アップルに相応しいのは、自動運転車からの撤退のような大失敗なのだ。 が、失敗が小さいことは、アップルの内部で起きているかも知れない腐食を象徴している可能性がある。大企業にありがちなこと――狂気が薄れ、内部で「スケスケケースの真似をしたような連中」が増殖し、実権を握りつつあるのではないか。 ジョブズは、自分の理想に殉じる預言者だ。予言者ならぬ預言者とは、神より下される啓示を人々に伝達する者という意味だが、ジョブズの場合の神意とは、自分の直観が指し示すところの美学である。自分が神なのである。 彼の美学が変な方向に向かうと、「息をのむほど美しい」が、大失敗したPower Mac G4 Cubeになったりする。ジョブズのプレゼンテーションは見事だという評価と共に、人が簡単に騙されるという意味で「現実歪曲フィールド」と揶揄されたりもした。実は「現実歪曲フィールド」に一番深くハマり、引っかかっていたのはジョブズ自身ではないかという気がする。 もしも彼の直観が「タイムマシンの開発」とか「超光速航法の実現」とかに向かっていたら、トンデモ扱いされたまま一生を終わっていただろう。