iPadのCM大失敗におじさんはうなずく
いったいアップルがどれほどの失敗をしてきたかを思い出してみる。スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックという「2人のスティーブ」が組んで1976年に起業。伝説となった最初の製品「アップルI」(1976年)、そして大成功した8ビットパソコン「アップルII」シリーズ(1977年~)……に続く「アップルIII」(1980年)は、かなり壮絶な失敗作だった。 最初のグラフィカル・ユーザー・インタフェース(GUI)を搭載した製品「Lisa」(1983年)は、出来は良かったそうだが(私は触ったことがないので分からない)価格が高すぎて失敗した。 Lisaに続くMacintosh(1984年~)は、アップルII以来の大成功となった。後継機種が次々に開発され、OSやCPUの更新を繰り返し、発売から40年目となる今日も後継機種が販売されている。 ●ニュートンって知ってます? 1985年にスティーブ・ジョブズは、自らペプシコーラからスカウトしたジョン・スカリーによって追い出される。アップルの実権を握ったスカリーは、「Personal Digital Assistant(PDA)」という概念を打ち出して、その初号機たる「Newton MessagePad」(1993年)を発売した。 まさしく、「iPhone」の先駆けになる可能性を秘めた商品だった(ちなみにiPhoneは2007年6月発売)。当時パソコン雑誌編集部で働いていた私は、ボストンに出張して製品発表会を取材した。 が、一部熱狂的なファンが付いたものの、一般大衆の反応は芳しくなく、失敗。Newtonプロジェクトは、1996年にジョブズがアップルに復帰するとほどなく打ち切りになった。 この時期、Macintoshが採用していたモトローラの68000系CPUの開発がうまくいかなくなり、インテルのCPUを採用していたWindowsパソコンとの性能の差が目立ち始めた。そこで、アップルは当時としては冒険としかいいようのないCPUの切り替えを行う。アップル、IBM、モトローラの三社連合で開発したPowerPCを採用した「Power Macintosh」シリーズを発売(1994年~)。この切り替えはうまくいき、Macintoshは延命した。 さらにアップルは、Windowsのように互換機ビジネスで、ソフトウエアから収益を上げようとする。日本のパイオニアはじめ、いくつかのメーカーがMacintosh互換機を発売するが、最終的には失敗に終わった。 このあたり、1990年代半ばは、アップルの漂流時代だ。経営者もスカリーから、マイケル・スピンドラーへ、スピンドラーからギル・アメリオへとめまぐるしく交代した。 CPUの切り換えに成功した主力商品のMacintoshは、次にOSの大規模更新に直面する。初代Macintosh以来のOSにはメモリーの管理に問題があって、それが「すぐにシステムダウンを起こすMacintosh」という悪評の原因となっていた。社内で進んでいた開発コード名「Copland」という次世代OSの開発は失敗。この時期にはほかにも「Pink」とか「Taligent」とか「Kaleida」とか、錯綜する多数のOS開発計画の墓標が立っていて、当時取材をしていた身としてはなつかしい。 ギル・アメリオは、社外から新OSを調達する道を選び、なんとアップルを追い出されたジョブズが設立したNeXTが開発していたOS「NeXTSTEP」に白羽の矢を立てる。1996年末、アップルはNeXTを買収すると発表。ジョブズはアップルに復帰し、1997年7月、ジョブズはアメリオを追い出してアップルの経営を差配するようになった。 ジョブズ復帰以降のアップルの躍進は、多数の関連書籍が出ているので皆さんご承知だろう。ジョブズ復帰第1弾というべき、「ボンダイブルー」と呼ばれる色をまとったスケスケのボディの初代「iMac」(1998年~)は、パソコンと無関係の様々な業界にまで、透明な筐体(きょうたい)ブームを起こすほどの大成功を収めた。携帯音楽プレーヤー「iPod」(2001年~)は、ソニーの「Walkman」が切り拓いた携帯音楽プレーヤー市場を転覆させた……どころか、それまでのレコードやCDという「物」に依存していた音楽流通を、「ネットを通じた音声データの流通」へと模様替えしてしまった。 Macは、NeXTSTEPベースの新OS「Mac OS X」へと首尾良く切り換えに成功(2001年)。さらにPowerPCからインテル系CPUに乗り換えを発表(2005年)、またも開きつつあったWindows機との動作速度の格差を解消した。