iPadのCM大失敗におじさんはうなずく
ジョブズの真骨頂は「1の次は100だ」というようなことを繰り返し主張し、本当に100を実現してしまうところにあった(ただし、最初に「100!」と言うパイオニアは彼とは別にいる。ヴァネヴァー・ブッシュだったり、ダグラス・エンゲルバートだったり、アラン・ケイだったり。彼らのアイデアを「現実歪曲フィールド」を使って展開したジョブズのほうが、記憶に残るのだ)。 彼が指し示す方向性は正しく、1の次は100、というのも間違いではない。ただし100に到達するには技術の進歩を待つ必要があった。いくら美学の通りに美しくあろうとしても、それを実現する技術がなければ、机上の空論で終わってしまう。 初期に技術を補ったのは、間違いなくスティーブ・ウォズニアックの卓越した回路設計の才能だった。ウォズニアックの技術があって初めてアップルIIは素晴らしい製品になった。 Macintoshでは、技術が追いつかずに後々に禍根を残すことになる。初期のMacintoshがすぐにシステムダウンを起こしたのは、GUI搭載というジョブズの美学に、ハードウエアの処理速度が追いつかないところを、メモリー保護という重要な機能を省いて高速動作を実現したからだった。 アップルから追放されたジョブズは、自らの美学のままに理想を追ってNeXTSTEPを作る。が、これもビジネスとしてはどうにもうまくいかない。まだ技術――ハードウエアの動作速度が追いついていなかったからだ。 そこを補ったのは、指数関数的に半導体の性能が向上するとした経験則、ムーアの法則だ。ジョブズのアップル復帰以降、iMac、iPod、iPhone、iPadの成功は、1970年代にはジョブズしか見えていなかった、それこそ口にすれば「お前は狂っている」と言われるような彼の美学が、ムーアの法則によって実現していく過程だった。 ジョブズは手練手管で100があたかもすでに手元にあるかのように見せかけ、実際に引き寄せようとじたばたしては失敗し、時と共にムーアの法則により100が実現できるようになったことで偉大な経営者と評価されるようになった。 ●陳腐な連中を吹き飛ばせ しかし「スケスケケースの真似をしたような連中」は「1の次は2に決まっているだろ?」としか考えない。明日は2、明後日は3、しあさっては4という発想で、自分が知っている今日の続きとして明日を組み立てる。こつこつ積み上げればいつかは100に至れるだろうと考えるので、100のことなんかはとりあえず頭から追い出してしまう。明日の売上げのほうが、いつ実現するか分からない100よりも重要だからだ。 が、彼らが100にたどり着いた時に、ジョブズは100の100倍を考えて「100の次は1万だ」と言い出している。そして現実を歪曲するプレゼンをしまくり、気が付くと本当に1万に至っているのである。1万を裏書きしたのは、まさに「1の次は10、10の次は100」という指数関数的な半導体の進歩を指摘したムーアの法則であった。 もしも、アップルの社内で今、「スケスケケースの真似をしたような連中」がのさばりつつあるなら――次に来るのは1990年代半ば、スピンドラーからアメリオの時代のような迷走だろう。もうジョブズはいない。となれば、アップルは近い将来、ちょうど今、米ボーイングが陥っているような状態になり、おしまいになるのかも知れない。 ブリーンは、はっとした。黒点が見えるのだ。肉眼で見えることもあると、話には聞いていたが、彼自身は、見たことは今までなかった。彼はまばたきした。だが、黒点はやはりそこにあった。 (ロバート・A・ハインライン「大当たりの年」 福島正実 訳 より) が、「七転八倒の末に大逆転」という、アップルの勝ちパターンを何度か見せつけられていると、そう簡単にアップルがダメになるという気もしない。ムーアの法則は減速しつつあるが、少なくとも2030年位までは指数関数的な半導体の進歩が続きそうな状況となっている。 とすると、ぐりっと太陽の裏側から回って出てくるのは巨大な黒点ではなく、ティム・クックの笑顔かも知れない。その顔が、“One more thing”と言うかどうかは知らないが、もの凄い太陽風を吹かせて、世間にのさばる「陳腐な広告を作らせるような連中」を吹き飛ばすのを期待しておくとしよう。
松浦 晋也