海の煌めきを宿す、硬質な美:民谷螺鈿
螺鈿(らでん)とは、漆器などに施される装飾のひとつ。夜光貝などを用い、煌めく美しさに仕上げる。紀元前3000年のエジプトで生まれた螺鈿が日本に伝わったのは奈良時代。時代や文化とともにその技術は発達し、継承されていった。壊れやすく、細工には繊細な技術を要する螺鈿を織物に取り入れ、着物業界に「螺鈿織(らでんおり)」という新たなカテゴリーを生み出した民谷螺鈿株式会社。海外のハイブランドから地域の機屋まで人と人をつなぎ、テキスタイルにおける日本独自の新たなプラットフォームの創出を目指す。「海の京都」と呼ばれるエリアに位置する京丹後の現地工房を取材し、同社・民谷共路さんに話を伺った。
蒔絵の美しさを織物に表現
ー事業とその始まりについてお聞かせください。 民谷螺鈿は主に着物の帯を作る工房でした。創業者である私の父、民谷勝一郎が1977年に貝殻を織り込んで蒔絵(まきえ)の螺鈿細工を織物に表現するため、帯の技術のひとつである西陣織の伝統技法「引き箔(ひきばく)」を応用し、約2年間の研究を経て開発したのが「螺鈿織(らでんおり)」です。それから着物業界で螺鈿織という新たなカテゴリーができました。父の代では京都の帯メーカーや作家の加工先として仕事を受注していました。 私は大学卒業後、京都市内の帯問屋で4年間働いていました。長男ということもあって、その後は実家に戻り家業を継ぐこととなります。約10年間、仕事を覚えるためにさまざまな雑用をしていましたが、父が開発した螺鈿織には唯一無二の魅力やオリジナリティがあり、海外での展開など将来に大きな可能性を感じていました。 私が実家に戻ってから数年後の1996年、オリジナルの帯の販売を始めました。ちょうど私が実家に戻った頃にバブル時代の終焉を迎えて着物の市場が停滞していき、今もなお縮小しています。そんななか、京都のメーカーや作家からの受注だけでは事業の継続が難しいと感じ、オリジナルのプロダクト制作に舵を切るきっかけとなりました。京都のメーカーの加工先としての仕事も続けていますが、今ではオリジナルプロダクトの占める割合が大きくなっています。 -海外展開のきっかけや経緯などを教えてください。 螺鈿織の帯を皇室に納入したこともあり、品質には自信を持っていました。しかし当時は着物の本場は西陣など京都市内というイメージが強かったため、京丹後でのオリジナルの制作が難しく、いかに差別化してオリジナリティを出すかを考えていました。