フランスでもトルコでも日本でもない…世界中を旅した作家が「世界一うまいパン」と出会った意外な国
世界でいちばんパンがおいしい国はどこか。世界87カ国を自転車で旅した旅行作家の石田ゆうすけさんには、忘れられない味があるという。石田さんの著書『世界の果てまで行って喰う』(新潮社)から、紹介する――。 【写真】鯖サンド ■パンの消費量世界一・トルコのパンの味わい パンの消費量世界一はトルコ。そう聞くとちょっと意外な気もするが、一番食べていそうなフランスと比べてもその差は歴然としており、一人あたりの消費量がトルコはフランスのなんと3倍近くあるそうだ。おまけに味もいいらしい。そう書かれた本を読んでからというもの、旅に出る前からトルコを訪れるのが楽しみだった。 「パンがうまい国」というのは、それだけで何か心躍るものがある。『アルプスの少女ハイジ』の世界に憧れたのは、あのアニメのパンの描写によるところも大きいのだ。少なくとも僕の中では。 そうして日本を出て6年目の秋、ヨーロッパを走り抜け、ついにトルコに入った。何もない荒野をしばらく走り、現れた小さな町に入っていくと、パン屋はすぐに見つかった。 町工場のような建物だ。近づいていくと甘い香りがした。店に入ると、バゲットをずんぐりむっくりにしたようなパンが並んでいる。値段は100トルコリラ(約17円)。この国ではパンのことを「エキメッキ」と呼ぶ。おもしろい響きだ。 おじさんに100トルコリラを渡し、エキメッキを受け取った。店の外に出てかぶりつくと皮がパリッと砕け、香ばしさがぶわっと広がった。味もバゲットに似ているが、胴が太い分、中はふわふわで、口当たりがしっとりしている。たしかにうまい。僕は鼻の穴を広げ、再び自転車にまたがり、町を出た。船上から見る大海原のように、茶色い大地がゆっくり流れていく。
■現地の鯖サンドの秘密 昼、大きめの町の食堂に入り、客たちが食べているトマトの煮込み料理を指して注文した。テーブルには半透明のプラスチック容器があり、一口大にカットされたパンがぎゅうぎゅう詰めに入っている。もしかして、とまわりを見ると、客たちは自由にパンをとって食べているのだ。やっぱりそうだ。パンはサービス、つまり食べ放題なのだ。 ぬは、ぬはははは。「パラダイスや……」一人興奮し、料理が運ばれてくると、煮込み料理の汁にパンをつけながら延々と食べ続け、なくなるとお代わりをもらった。 3日後、ヨーロッパの終点イスタンブールに着いた。目の前のボスポラス海峡を渡ると、アジアだ。ここでしばらく休養することにした。迷路のような下町をぶらついたり、街の人とだべったり、惰眠を貪ったりと、2週間ほどのんびりしたあと、町を出る前に一応やっておこうか、と観光もしてまわった。 ガラタ橋に行くと、船着き場に人だかりができ、みんなパンにかぶりついていた。係留された船から煙が上がり、甲板の上で魚の切り身が焼かれている。あぁ、これが有名な鯖サンドか。日本円で1個約130円。手渡されたパンを開けると、鯖の半身がでんとのっているだけだ。なんて武骨な。トッピングのトマトや玉ねぎを自分でのせ、かぶりつく。香ばしいパンがコクのある鯖を布団のように包み込んでいる。 ■パンがうまいからトルコがいい国になる あれ? 想像と違うな。味のバランスがいい。なるほど、パンのうま味が濃いから鯖と調和するんだ。頭上のガラタ橋を見上げた。欄干から夥しい数の釣り竿が飛び出している。そっちに向かって階段を上っていく。橋の上に出ると、小鯵が次々に上がってキラキラ舞っていた。 欄干から飛び出した無数の釣竿が逆光に浮かび、櫛の歯のようなシルエットになっている。その竿の並びの向こうに、イスタンブールの旧市街が広がっていた。丘の上から海まで白い家がびっしりと斜面を覆っている。小山のような巨大なモスク(イスラム教の礼拝堂)からは、鉛筆に似た細長い塔が何本もシュッ、シュッ、と空を切るように立っていた。 太陽が西に傾き、丘を埋め尽くす白い家たちがオレンジ色に輝き始めた。一人のおじさんが鯖サンドを二つ持って橋の上にやってきて、釣りをしているおじさんに一つ渡し、並んで食べ始めた。海の香りにパンの芳香が混じる。カモメのキュウキュウという声が聞こえる。 やっぱりパンの力は大きいな、としみじみ感じていた。パンがうまいという、ただそれだけのことでこんなに朗らかな気持ちになるのだから。 考えてみると、同じ主食でもご飯や麺だとこうはいかない気がする。焼きたての甘い香りと白い湯気、食事ごとに口にするそのパンを思うたびに平和な空気に包まれる。トルコの印象が特別いいのは、このパンに負うところも大きいように思えてならないのだ。