「ブッシュ大統領に礼を言われたよ」めったに人を褒めない首相にねぎらわれた官僚 明かしたのは30年前の日米首脳会談成功の内幕と、トヨタ自動車が示した誠意
―日本は当時、バブル経済のさなかで産業の要の自動車業界は破竹の勢い。米市場への進出を拡大していた日本への反感をかわそうと、日本は80年代から対米輸出を自主規制していました。豊田さんは抵抗しなかったのですか。 「最初は渋っていましたよ。日米自動車摩擦は、もう何年も続いていて、日本は既に輸出を制限して自粛しているのに、心外だと」 ―そこから、どのように説得したのでしょうか。 「日米両方の業界のことを考えると、日本側にも妥協してもらわないと困ると。誠心誠意お願いしました。完成車の輸出の数量を抑えるには限界があった。だから米国製部品の調達を増やすということになったわけです。豊田さんには感謝しました。日本のためになると分かってくださった」 ▽日米関係を考えて顔を立てた ―再選が危ぶまれていたブッシュ氏に、何らかの成果を用意しなければいけないというプレッシャーはありましたか。 「日米関係を考えて、宮沢首相はブッシュ氏の顔が立つように努力された。いかに首相がブッシュ氏に尽くしたか、先方にも伝わったでしょう」
―具体的な目標提示にこだわりはありましたか。 「役人を何十年もやってきた経験から、抽象論ばかり言っていても仕方がないという気持ちでした。宮沢首相が会談後、慰労の言葉をかけてくれたのは、私たちの苦心をご存じだったから。うれしかったですよ。官僚の能力や領分をよく分かっていて、めったに人を褒めない人でしたからね」 ―豊田氏の印象は。 「理論家なところは豊田さんも宮沢首相と同じ。理屈が通らないことには大変厳しかった。だが、最後は宮沢首相とブッシュ氏の両方の立場を考えてくれた。自動車業界での豊田さんの力は抜群に大きかった。豊田さんがいなければ、まとまらなかった。見識のある人でした」 ▽約束した以上はやらなくては ―ブッシュ氏は会談時の体調不良による転倒も影響し、帰国後の92年の大統領選に敗れて再選を果たせませんでした。ただ、会談成果はその後の日米自動車摩擦の解消に貢献したとの見方もあります。