公共交通の崩壊=医療崩壊? 北海道「通院100km」問題が示す、地域格差の辛らつ現実とは
医療へのアクセス
図は北海道の「総合病院相当で産科あり」(赤)・「総合病院相当で産科なし」(青)・「産科あり」(黄)と、人口の分布を合わせて示す(2020年のデータ)。なお「総合病院相当」としているのは、1996(平成8)年まで「病床数が100以上で主な診療科が5科以上」が法的に「総合病院」として規定されていたが、現在は基準が廃止されたため、それに相当する「大きな病院」の意味で示したものである。 もちろん「大きな病院」イコール「よい病院」とは限らないが、公共交通の不便な地域で車を使えない人が単科病院を回るのは大きな負担であり、「総合病院」の存在は重要である。インターネットで医療情報を提供している医師が、 「現代の医療は標準化が進んでおり、個人的な名医というものはいない。近く(通いやすい)の医師が名医だ」 と発言していた。人柄で合う・合わないの問題は最後まで残るだろうが、まさに通院の難易は医療の質に影響する。 改めて医療機関と人の居住について距離スケールと合わせてみてほしい。住んでいる地域によっては自宅から100km圏内に総合病院が存在しない。この距離になると、車で行くにしても大きな負担である。 しかも北海道の生活実態では、車でも安心な移動とはいえない。ある聞き取り調査によれば、冬季は車でもひとりでは怖くて、出掛けるには同乗者を求める必要があるという。高齢になると体調の不安なども加わり、便数が少ないなどの不便と比較しても、少なくとも乗務員が一緒にいる鉄道やバスのほうが安心だという。 同様に、1996年2月のトンネル崩落事故(北海道古平町)で路線バスに乗っていて崩落に巻き込まれた乗客のなかに 「ふだんは車を利用しているが雪が激しいのでバスに変えた」 という人がいた。若い人(当時)だったが、荒天時に自分での運転は不安なのでプロが運転するバスのほうが安心という背景があった。このように交通には採算性では評価できない要素が介在するのである。