能登の火葬場がほぼ使えない…葬祭関係者の知られざる奮闘 増え続ける遺体、でも「最後の尊厳だけは守りたい」
1月1日の能登半島地震から数日後、石川県薬事衛生課の出雲和彦担当課長は頭を抱えていた。 「せめて遺族に生前のほほ笑みを」犠牲者300人を復元した「おくりびと」は、仕事を投げ打って能登へ向かった ボランティアが示す「覚悟」
「火葬場や葬祭会社は混乱状態。霊きゅう車も足りない」 被災した珠洲市、輪島市、能登町、七尾市には火葬炉が計12基あったが、地震で損傷。1基しか稼働できない状態になっていた。日がたつにつれて遺体はどんどん増えていく。やむを得ず、金沢市や小松市など県内の他の自治体に運び、5日から順次火葬すると決めた。 大災害では遺体の扱いが大きな問題になる。火葬が進まず、遺体を長く置いておくと腐敗が進む。大切な人を失った遺族が最後の別れをするには、避けなければならない事態。混乱する現場で、葬祭関係者はぎりぎりの奮闘を続けていた。(共同通信=江浜丈裕) ▽何もかも足りない 地震の直後から、石川県葬祭業協同組合の塩谷真一郎理事長は、出雲担当課長ら県の担当者と非公式に連絡を取り合っていた。 県の担当者はこう言っていた。 「このまま犠牲者が増えたら、協定に基づく依頼を要請するかもしれません」
石川県では、災害時の遺体搬送を組合や「全国霊柩自動車協会石川県支部」に協力要請するという協定書が2010年に結ばれていた。 塩谷さんが振り返る。 「協定を使う日が実際に来るとは想像していなかったが、結んでいてよかった。おかげで迅速に対応できた」 2011年の東日本大震災で、石川県の葬祭業者が応援に駆けつけた経験も生きた。各業者が棺おけやドライアイスなどを十分に確保することが習慣化していたという。 ただ、問題は道路事情だった。奥能登の道路は地震で寸断されている。遺体の搬送や、各地から応援に入る葬祭関係者の移動は困難を極めた。金沢からの応援スタッフは早朝に金沢を出発し、被災地の遺体安置所で日没まで作業をし、深夜に金沢に戻ることを繰り返した。渋滞に巻き込まれ、金沢着が翌日の午前1時を回ったこともあったという。 「人も霊きゅう車も足りない。火葬場は使えない。道路事情は最悪。その間に犠牲者がどんどん増えている。ご遺体の取り扱いは時間との勝負なのに…」