「フェミニズムと映像表現」展が東京国立近代美術館で開催中。作品を通して考える、ジェンダー格差のある社会構造の問題点とは
yoiクリエイターのくどうあやさんによる、展覧会レポート記事を公開! 今回訪れたのは、東京国立近代美術館で開催中の「フェミニズムと映像表現」展。 【yoiクリエイターズ】話題のビューティー、ウェルネス、カルチャーを取材(写真)
「フェミニズムと映像表現」展をレポート!
祝日の月曜日。開館直後の東京国立近代美術館は外国人観光客の姿が多く見られます。入館料が一般の大人でも500円とリーズナブルなこともあり、隙間時間に訪れるのには最適な場所なのかもしれません。 今回、近代美術館に来た目的は「フェミニズムと映像表現」展。美術館のコレクションの中から、フェミニズムを起点に、1970年代から現代までの映像表現を紹介する展示です。本展はコレクション展の一部であるため完全に独立した展示ではなく、建物5階のコレクション展入り口から順路をたどり、会場である2階のビデオルームへ向かう必要があります。近代美術館は国内最大級のコレクションを持っているので、他のフロアの作品もゆっくりと楽しむことをおすすめします。
作品を通して考える、ジェンダー格差のある社会構造の問題点
1960年代から1970年代は、テレビの普及やヴィデオ・カメラの登場でメディア環境が大きく変化した時期です。映像を撮影することのハードルが下がり、アーティストたちは映像を利用して作品を制作する技術を得ました。そして、その1970年代は第二波フェミニズム運動が展開された時期と重なります。 第二波は男性が仕事と政治を担い、女性が家事を担うという男女の活動領域を分割する従来の家庭概念に疑問を投げかけるものでした。展示されている作品も、マスメディアのもたらす家庭的な女性らしさのイメージへの違和感を投げかける作品が多く集められています。ここからは私が見て気になった作品を紹介します。 ■マーサ・ロスラー《キッチンの記号論》1975年 料理番組のスタジオに立ち、キッチンにある調理器具の名前をA,B,C…とアルファベット順に告げる女性。まるで子どもに英語を教えているかのように見えますが、そこで紹介される調理器具の使い方は実際とは異なっています。 マーサ・ロスラーはニューヨークを拠点に活動をしているアーティストです。フェミニズムアーティストとして独自の思考を持ち、写真のテキスト、ビデオ、インスタレーション、彫刻、パフォーマンスの作品制作のほか、論文の執筆など教育者としても精力的に活動をしています。 日本では、本作がマーサの作品の中で最も知られている作品なのではないでしょうか。淡々と調理器具の名前を読み上げる声と、乱暴に調理器具を扱う様子、終始気怠げな表情は、マスメディアによって描かれる、女性が家庭内での労働者とする家父長制への違和感を独創的な方法で示しています。調理道具の名前すらわからない男性に向けて、彼らが見る事はないであろう料理番組をパロディーにして無言の抵抗を表しているように捉えられます。 ■ダラ・バーンバウム《テクノロジー/トランスフォーメーション:ワンダーウーマン》1978-79年 アメリカのアーティスト、ダラ・バーンバウムはビデオアートのパイオニアとも呼ばれ、世界各地で展覧会が開催されています。日本では、昨年プラダ 青山店にて個展を開催していました。 本展のメインビジュアルにも使われている本作は、1970年代のワンダーウーマンを題材にした映像作品です。ダラはアメリカのテレビ番組で放送された映像をもとにメディアの持つ暴力性を痛快に指摘する作品を制作しており、本作もそのひとつです。 作中ではワンダーウーマンに変身しようとする女性、緑の中を駆け抜けるワンダーウーマン、敵と戦うワンダーウーマン、など物語から抜き出された5秒ほどのシーンが何度も繰り返されます。日本でも映画の公開などで、女性のアメコミヒーローとして知名度が上がってきましたが、現代のワンダーウーマンの映画と、本作で扱われている1970年代の作品とではかなり違った印象を持ちます。 扱われているシーンは、どれもヒーロー番組では定番のシーンですが、何度も繰り返すことで生まれる違和感があります。それが本作で性的に誇張された女性ヒーローの姿です。現代の女性ヒーローのイメージからすると、水着のような露出の多い衣装は番組に苦情が入ってもおかしくないほど性的に見えます。 ワンダーウーマンの物語には、美しく性的な服を着た女性が回転しながら変身して、男性を救い出すために駆けつけるというお決まりの展開があります。困った市民たちを救い出す男性ヒーローと同じ役割を与えられることがない事実が、男性の求める女性ヒーローという、根底にあるテーマを浮き彫りにしています。 大きなスポーツ大会でも女性のユニフォームは毎度のように議論になりますが、敵と戦わなければならないワンダーウーマンに関しては、間違いなく肌を覆っていていいはずです。他の男性ヒーローは全身を覆う服を着ていたり、重そうな防護服を着ていることもあります。敵がいる以上は、その方が安全面でも利点が多いのではないかと考えてしまいます。 男性が多いメディア業界によって作られている事実を再確認するとともに、視聴者層を考えると子どもたちが見ることに母親たちは抵抗を感じていなかったのかと疑問が生まれますが、調べてみるとアダルト層を狙って作られていた背景もあるようです。数少ない女性ヒーローが、あえて露出の多い衣装を着たキャラとして作られていたと知ると複雑な感情になります。 最後にはしっかりとエンディングロールと主題歌が流れるのですが、この曲もなかなか男性の目を感じさせるものになっています。会場ではヘッドホンをつけて作品を聴くことができるので、ぜひ最後まで見てみてください。 ■出光真子《主婦たちの一日》1979年 アーティストの出光真子は家庭での女性の役割を問う作品を発表しながら、自身も母親として子育てや家事を経験しています。日本の家庭で生まれ育っている私にとっては、この作品はすごくイメージがしやすく考えさせられる作品でした。 本作では4人の女性が、ベランダ、台所、玄関、応接間、便所、風呂場、子ども部屋、寝室、居間、で区切られた家の展開図の上に、自身の駒を置き、1日の動きを可視化します。4人は「ふふふ」と笑いながら自身の行動を語っていますが、その生活はとても自由とは言えないものです。昼間までに忙しく家事を済ませ、昼の数時間だけ外に出る。昼食を終えたらまた買い物と掃除。少し仕事に行っても夕方には戻ってきて、家族の夕食を用意する。古きよき日本の家庭の中で描かれる主婦の姿を体現したような生活をしている女性たちですが、駒として改めて行動を可視化してみると、狭い行動範囲と限られた人間関係で生活する女性たちの姿が浮き彫りになり、見ている私が圧迫感を感じてしまいました。それでも女性たちは笑顔で「ずっと家にいる」と笑いながら語っていて、そこにさらに窮屈さを感じてしまいます。 家の中だけでなく、周囲の建物が描かれた近所マップも登場するのですが、その範囲もかなり狭く、徒歩や自転車で行くことができる範囲に限られています。何気なく家族アニメで見ていたお母さんたちは、いつも家の中にいて忙しそうにしているイメージがあったのですが、あれは少し前の時代には当たり前の光景だったのだと改めて気づかされました。 この作品は会話のスクリプトが、英語と日本語で文章としてダウンロードできるようになっています。作品を見ていた観光客の人たちは何を思ったのか。国によって母親の役割は多少異なっていても、家庭を守る母親というイメージは多くの国で共通するものなのかが気になります。