「母親になったことを後悔する」。ある女性が告白した、墓場まで持っていきたい秘密とは
----後悔する母親たちは子どもへの愛情がないと非難されていますよね。本の中で否定されているようですが。
そうです。研究に参加してくれた母親たちの大多数が、後悔を語りながらも、子供の世話に関して自分ができることは全てやったと話しています。私は母親たちを美化しようとしているのではなく、人間として扱いたいのです。誤りに気づきながらも、ずっとそれを続けている人間。そして、忘れないでいただきたいのは、子供を産んだことを後悔していないからといって、子供を虐待しないとは限らないということ。
----母親になって後悔するという例は以前より増えていると思われますか。
過去に母親になって後悔した女性がどの程度いたかは、決してわからないと思います。一般的に、母親の声を史料として保存したものは非常に少ないですからね。だから、現状と比較することができないのです。
----母性があまりにも美化されているということでしょうか。
徐々に美化されなくなるだろうと思いますが、あいかわらず、母になることは女性の存在意義だとされています。今日女性たちは、とにかくやってみる価値はあると思いながらも、母性にまつわる難しさを口に出すようになってきました。そのような語りのおかげで救われ、自分の気持ちが「普通だ」と言われることで精神的に安心する母親がいるのです。けれども、母性を神聖なものだと考える社会では「母親になること」に実は既に含まれているマイナスの感情、ストレスや不安などを、後悔だけで片付けてしまいます。女性たちは一時的にプレッシャーから解放されるかもしれませんが、いずれ立ち直ることが想定されています。それでは、母親たちの苦悩は本当には理解されないし、幸福感が感じられるように根本的に変えていくということにはつながらないのです。
----父親の方は状況をどうとらえているのでしょうか。
女性と同じです。子供が欲しい父親も、欲しくない父親もいます。決めるのを時間任せにする父親もいます。女性と違うのは、父親になるべきだという縛りが弱いこと。年をとっても父親にはなれますし、父親にならなければ男性ではないと言われることもない。子供の教育は自分の仕事ではないと母親任せにする男性もいます。また、父親になりたいと思っていないのに、パートナーの希望で父親になった男性もいて、私はそのような男性10名にインタビューすることができました。女性の場合と違うのは、そういう男性たちが離婚するなどと脅かされてはいないということ。反対に、パートナーと一緒に住めなくなることを恐れているようでした。このテーマについても、深く掘り下げる価値があると思っています。