わいせつか芸術か。アメリカで急増するアート検閲から表現の自由を擁護するNPOの活動を追う
アート施設は開かれた議論の場
デュラントの一件のわずか半年前には、2017年のホイットニー・ビエンナーレでこれと似た問題が起きていた。物議を醸し、撤去を求める声が上がったのは《Open Casket(開いた棺)》という絵画で、1955年に白人のリンチで殺された黒人少年エメット・ティルの遺体を、葬儀時の写真をもとに白人アーティストのダナ・シュッツが生々しく描いている。 この作品に抗議したのが黒人アーティストのパーカー・ブライトだ。彼は「BLACK DEATH SPECTACLE(見せ物にされる黒人の死)」と書かれたTシャツを着て作品の前に立ち、それがメディアに取り上げられた。イバラの場合と同様、さまざまな芸術家や思想家がブライトを支持し、アーティストのハンナ・ブラックが出した書簡に署名。ビエンナーレのキュレーターらに宛てられた書簡には「絵を撤去せよ」という、はっきりとした要求が記されていた。当時のことをミンチェワはこう振り返る。 「この件では、私たちは公的声明を出しませんでした。反検閲団体の声明が逆効果になることもあるからです」 実際、「検閲の告発」という強硬なスタンスと取ることで、美術館が難しい状況を乗り切れるようにするというNCACの最終目的が達成しにくくなることもある。このときミンチェワは、ホイットニー美術館のアダム・ワインバーグ館長(当時)と水面下で話し合い、絵画の展示を続けるための戦略(解説文やPRを含む)を練った。問題となっている作品を撤去することなく批判に対応するよう展示施設に働きかけることこそが、NCACの典型的なアプローチだからだ(ただし、彼らは展示施設のコンサルタントではない)。NCACはまた、抗議する側の言動も、言論の自由のもとに保護されるべきだと考えている。 展示施設は、開かれた議論の場であるのが理想的だというのがミンチェワのスタンスだ。作品や書籍、あるいはイベントが、それを見た人の反発を招いたり居心地の悪さを感じさせたりすることが、逆に建設的な議論を生む場合もある。「今の時代の大きな問題点の1つは、公共の言論空間が縮小し続けていることだと思います」と彼女が言うように、昨今の議論の場は、不健全で非人間的なバーチャル空間に限定されがちだ。そんな中でアート施設というリアルな場は、意見の対立を受け入れる義務があると彼女は考えている。 非営利団体のNCACは、どんな問題が起きても展示施設が中立的な立場を取り、あらゆる側からの検閲に対抗できるようになることを目標に掲げている。その活動を支えているのが、当初からNCACの支援を行っているアンディ・ウォーホル財団と個人の寄付だ。NCACが一貫した姿勢で言論の自由を擁護することができるのは、こうした経済的援助のおかげだと言える。 とはいえ、何を展示するかを「選択」し、植民地主義や帝国主義の歴史を背負っている美術館が、本当に中立でいられるのだろうか? ミンチェワは、2021年に発表されたクイーンズ美術館の元館長、ローラ・ライコヴィッチとの討論を引き合いに出し、この疑問に答えた。そのときライコヴィッチは、作品の選択を行い、プログラムをキュレーションすることで特定の立場を取る美術館に中立性はあるのかと疑問を呈している。「キュレーションというのは、支持と同義なのか?」という問いに対し、ミンチェワはそうは考えないと言う。彼女の主張は、美術館は作品を展示するアーティストの思想を推奨しないように努めるべき、というものだ。 自分たちのプログラムを推奨しないという姿勢は、全美術館のマーケティング部門が日々やっていることに反する。歴史的に見て、美術館で何かを展示するということは、その重要性、時代性、特異性を強調することを意味する。では、中立性は単なる絵空事にすぎないのだろうか? 少なくともライコヴィッチはそう思っていたようだ。2017年にライコヴィッチは、イスラエル政府主催の建国70周年イベントの会場として美術館を貸し出すことに拒否権を行使。理事会と対立し、翌年初めに館長職を退いた。最終的にイベントは行われたが、ライコヴィッチと理事会の間に生じた溝は埋まらなかった。 今年の春には、サンフランシスコのイエルバ・ブエナ・センター・フォー・ジ・アーツ(YBCA)で、ミンチェワ流のアプローチを試みている。それは、昨秋から開催中だった「Bay Area Now 9(ベイエリア・ナウ9)」展でのことで、参加アーティスト30人のうち8人が、イスラエルのガザ攻撃への抗議として2月に展示中の自作に手を加えた。このときNCACは介入しないと決め、美術館にとって「勝ち目のない状況」であることを説明した。YBCAがどんな策を取ったとしても、一方の側についたと受け止められるのは必至だからだ。 手を加えられた作品は、YBCAが展示に合意したものではなかった。それでも美術館が作品を撤去すれば、政治的な立場を取ったと思われるリスクがあるとNCACは警告。これを受け、美術館は審議のため展覧会を1カ月間休止した。最終的には、改変された作品はそのままで、改変の内容はアーティストの見解を示すものであり美術館の見解ではないことを記した解説文を添えて展覧会を再開した。