F1角田裕毅に2年目のジンクスはあるのか…18日にバーレーンGPでシーズン開幕
日本のプロ野球界に「2年目のジンクス」という言葉がある。1年目に大活躍した選手が、2年目に成績を落としてしまうことを指す。 昨年、日本人ドライバーとして7年ぶりにF1にデビューした角田裕毅(21、アルファタウリ)。開幕戦では、いきなり9位に入賞。日本人ドライバーがF1デビュー戦でポイントを獲得するのは、史上初の快挙だった。 ところが2戦目のエミリア・ロマーニャGPで、角田は思わぬ落とし穴にはまってしまう。予選開始直後にコントロールを失って、クラッシュしてしまったのだ。「2年目」ならぬ、「2戦目」のジンクスとなってしまった。その理由を角田は次のように分析した。 「開幕戦でポイントを獲得して、ヘルムート・マルコさん(レッドブルのモータースポーツアドバイザー)からは『表彰台を狙っていけ』と言われ、自信満々で2戦目を迎え、自分の中でF1を少し甘く見ていたのかもしれません」 予選で大きなミスを犯してしまった角田は、一気に自信を失った。1000分の1秒を争うF1の世界では、自分のマシンを自信を持って攻めることができないと、マシンのポテンシャルを発揮できない。そうなると、ドライバーは自信が持てないまま無理なドライビングをしてしまい、またクラッシュする。いわゆる負のスパイラルだ。 3戦目は後方に沈み、4戦目はマシントラブルでリタイヤした角田は、5戦目のフリー走行でクラッシュ。6戦目に入賞するも、7戦目に予選で再びクラッシュした。この負のスパイラルに陥っていたからだった。 そこで角田は、真摯にF1に向き合うことを決めた。そのひとつが、5戦目の直後に居住地をイギリスからイタリアに変えたことだった。イギリスはF2時代から暮らしていた場所で、ドライビングシミュレーターというトレーニング装置もある。しかし、角田が所属するアルファタウリはイタリアに本拠地を構えており、ほとんどのエンジニアはイタリアのファクトリーに勤務している。つまり、角田は自分を担当するレースエンジニアと、レースが行われる週末に現場でしか直接、会って仕事をしていなかった。 一方、チームメートのピエール・ガスリーはイタリアに住み、レースが行われていない日にもファクトリーを訪れ、自分を担当するエンジニアとコミュニケーションを密に取っていた。角田が参考にしない理由はなかった。