【図解】過去の自民党総裁選を振り返る――決選投票での逆転、女性初の出馬、野党としての選挙も
1955(昭和30)年の結党以来、25人の総裁が誕生している自民党。政権与党として行う総裁選挙は総理大臣を事実上決める選挙でもあり、活発な政策論争や激しい権力闘争が繰り広げられてきた。 【年表】「竹下派」から「福田派」支配へ 首相で振り返る平成政治 国民人気の高かった小泉純一郎首相(自民党総裁)の後継を決める2006(平成18)年以降の総裁選を振り返ってみると、決選投票での逆転劇や、第2党に転落しての総裁選、史上初となる女性議員や参院議員の立候補などさまざまな出来事があった。
小泉氏の後継となった安倍氏
2006年の総裁選は、5年5か月という長期にわたって総理総裁を務めた小泉純一郎氏の後継を決めるもので、「麻垣康三」のうち安倍晋三氏、麻生太郎氏、谷垣禎一氏の3人が立候補した。小泉政権の「聖域なき構造改革」の継承を訴え、所属する森派以外からも支持を得た安倍氏が議員票267、党員票197の計464票を獲得し、圧勝した。 当選時、安倍氏は52歳。初の戦後生まれの総裁で、それまでの田中角栄氏の54歳を抜いて戦後最年少の首相となった。だが、「長期政権の後は短命に終わる」というジンクスをはね返せず、約1年後に持病の悪化から退陣した。
安倍氏の突然の辞任を受けて実施された2007年の総裁選。いわゆるフルスペックではなく、党所属国会議員387人と都道府県連代表141人による投票となった。 森派(現・細田派)からは福田康夫氏と町村信孝氏が意欲を見せていたが、話し合いの末に福田氏が立候補。麻生氏との一騎打ちを制し、第22代総裁に選出された。国会議員票はほぼダブルスコアだったが、地方票は両者に差がなく、「少数派閥の領袖である麻生氏が善戦した」との声も上がった。
福田氏が電撃辞任、麻生総裁が誕生
その福田氏は、安倍首相時代の参院選敗北によって野党が参議院で過半数を占めることになった「ねじれ国会」への対応に苦慮し、安倍氏に続いて約1年で電撃辞任。2008年の総裁選は、党幹事長を務める麻生氏のほか、女性初の出馬となった小池百合子氏(現・東京都知事)、石破茂氏といった防衛相経験者ら過去最多となる5人で争われた。 1年以内に衆院選が実施されるため、自民党の幅広い政策を国民にアピールしようと、全国17か所で街頭演説会が行われた。国民からの人気の高さも追い風に、麻生氏が4回目の総裁選挑戦で勝利した。 麻生首相の下で行われた2009年8月の衆院選は、民主党が300超の議席を獲得した一方で、自民党は119議席と大敗し下野。麻生氏は責任をとって辞任した。それを受け、第1党ではない完全な野党として初めての総裁選が実施された。キャッチコピーは「再生への第一歩」。財務相や国交相、党政調会長などの要職を務めた谷垣禎一氏が、初出馬となった河野太郎氏(現・行政改革担当相)と西村康稔氏(現・経済再生担当相)を抑えて勝利した。