「もう死んだ気で生きるとね、全部がありがたくて楽しいんです」――更年期のいまが成長期、大黒摩季の描く夢
2015年には、子宮全摘出の手術を受けた。 「せっかく生まれた命が自分の中で消えてしまうのが辛かった。しっかりと決断したことなので後悔はないんですけど、オペのあとは絶望に近かったです。子宮がないって、こんなにも喪失感があるものかと」 凍結受精卵で代理母出産も試みたが、うまくいかなかった。 「子どもを諦め、歌も噛み合わなくなって、何をやってもダメ。6年間の専業主婦生活も、うまくできなかった。区役所への行き方も、母の介護に関する手続きも、戸惑ってしまって。それまで、あらゆることを音楽で免除されてきたんだなと。いまいち折り合いがつかずに日々を過ごして、最後は引きこもりみたいになりました。だって、誰かに会ったら『大黒摩季』を演じなきゃいけないから」 「頑張って」「大丈夫だよ」 誰かにそう言われるたびに、「何がわかる? あなたは全部持っているくせに」と心の中で叫んだ。自分が嫌になって、どんどん「血が汚れていく気がした」。
そんな負のスパイラルにはまっているとき、歌手活動に戻るきっかけをくれたのは吉川晃司だった。レコーディングスタジオに呼ばれ、コーラスをすると、「大丈夫だ」と背中を叩いた。 「殿(吉川)は、いつもすごいタイミングで助け舟をくれるんです。だから頭が上がらない。『お前、ブスになってる。こじれてるのが顔に出てるよ』って言われて。『もうジタバタするな。お前の歌は錆びない。ふてくされてるくらいだったら、キッパリ女を生きて、糠漬けでも漬けてみろよ』って。そこで初めて合点がいって、夫の家族、自分の実家、これまで失礼を重ねてきた罪滅ぼしをするかのように、主婦生活に向き合いました。そうしたら、それこそ嫁姑問題とか、家族の悩みとか、ワイドショーで取り上げられるような出来事が、初めて自分ごとになって、ファンの人たちの気持ちがわかってきたんですよね」 この6年間の一般生活は、その後復帰した大黒にとって、創作のヒントとなった。 また、“聴き手目線”で考えられるようになったという。 「スーパーでカートを押しているときに、AKBのアイウォンチュ~♪が聴こえてきて、これは売れるわけね、って思ったり(笑)。若い頃は死ぬほど音楽ファンだったはずなのに、自分が作り手になってしまったら、普通に音楽に触れられなくなっていたことに気づいたんですよ」 しっかり休んだ6年間で、声帯も生まれ変わっていた。手術で失った体力も、年齢に合わせたトレーニング方法で取り戻し、大黒は第一線に復活。ふたたびライブツアーに挑んだ。