「もう死んだ気で生きるとね、全部がありがたくて楽しいんです」――更年期のいまが成長期、大黒摩季の描く夢
音楽がない大黒摩季は、北斗神拳を失ったケンシロウみたいなもの
大黒のキャリアのスタートはバックコーラスだ。 ヒット曲が続いたが、スタジオに籠もっているので、世の評判は本人の耳には届かない。 「売れたって、どうせいつか落ちるんだから、その時は作家とバックコーラスで食べていけるようにって、コーラスもやめてなかったんですよ、2000年のZARDのベストアルバムあたりまでやってましたからね。テレビも見ないし、売れてる自覚もまったくなくて、通帳も親に預けていたので。本当に、浦島太郎でした(笑)」 顔を出さないつもりはなかったが、こうなると、どうにも出づらい。 どう出る? いつ出る? とスタッフで話し合う日々が続いた。 「中途半端はスベりそうだから、この際、一気に出るか、という話になって。大規模な屋外コンサート、テレビ生中継、全部くっつけてベールを脱ぐと。いや被った覚えないけどね(笑)。でも当日は何を歌って、どういう気分だったか、何も記憶がないんです。それまで東急ハンズに下から上まで行けてた一般人がですよ、いきなりポーンと、4万7000人が待ち構えるあそこに立ったら、もう何がなんだか(苦笑)」
ヨルシカ、Ado、yamaなど、素顔を晒さないアーティストたちが活躍している。 この状況を、元祖ミステリアスな大黒はどう見ているのか。 「出なくていいよ、しばらく(笑)。Adoちゃんも、乗せられて出ないでね、って思って見てます。もうちょっと粘ってほしいですね。謎は、すぐに暴かれてしまうと、賞味が短くなっちゃう気がするから」 自身の“賞味”が長く続く理由は何か。聞くと、大黒は「私は死にぞこないのゾンビだから」と笑った。 「上京して、バイトしながらバンドをやって、オーディションを受けて。私みたいなバックコーラス上がりの叩き上げが、アーティストとして残っていられるのは奇跡に近いと思う。ファンの皆さんと、スタッフのおかげで、30年。私、よくやったなって自画自賛したいですね。でも、その間に2、3回は死んでますから。死ぬ気で生きるって苦しいけど、もう死んだ気で生きるとね、全部がありがたくて楽しいんですよ」 人前で歌うことを諦め、作家として生きようと覚悟したこともあった。 20代の後半から婦人科系の病気に苦しめられた。34歳で結婚し、不妊治療を始めた。流産を繰り返し、腹腔内腹膜炎なども併発。心身ともに疲れ果て、アーティスト活動を休止する。 「病気が安定したら不妊治療。と思ったらまた病気が悪くなる。その繰り返しでした。いい卵子を待つ。受精を待ち、胚が育つのを待つ。病気を治すために投薬して、結果を待つ。もう、待ってばかり。これまで競走馬みたいに生きてきたから、待ったことがなかったんです。苦痛でたまらなかった。音楽がない大黒摩季は、北斗神拳を失ったケンシロウみたいなものですよ。たくさんの挫折を経験しました」