考察『光る君へ』48話「つづきは、またあした」まひろ(吉高由里子)の新しい物語へと三郎(柄本佑)は旅立つ「…嵐がくるわ」最終回、その強いまなざしの先に乱世が来ている
25年も大納言だった
寛仁3年(1019年)、左大臣・顕光(宮川一朗太)がついに辞職するのではという動きがあり、道綱(上地雄輔)が道長に、 道綱「俺、大臣になれないかな? 一度大臣やりたかったんだよ!25年も大納言だったんだもの」「ちょっとだけでいいよ、すぐやめるから」 道綱は、この翌年の寛仁4年(1020年)、病に倒れ、66歳で逝去。結局、大臣には生涯なれなかった。この作品の道綱は政治には全く向いていないが、最後まで弟・道長を可愛がる兄だった。どんなに立場が変わろうとも出会った頃のまま接してくれる道綱に、どれほど道長の気持ちは救われただろう。お疲れ様でした、兄上。 ちなみに左大臣・顕光はこの騒動で辞職することはなく、道綱死去の翌年、治安元年(1021年)78歳で世を去った。
俊賢と明子
万寿2年(1025年)、嬉子が東宮の皇子を産む。しかしその2日後、19歳という若さで亡くなってしまった。死因は麻疹(はしか)だったという。道長と倫子夫妻は激しく嘆き、道長は陰陽師らを土御門殿に集めて娘を蘇らせる儀式をさせたと『小右記』と『権記』に記される。 万寿4年(1027年)、道長の孫である後一条帝(高野陽向)は19歳。 実資(秋山竜次)は右大臣になっている。斉信(金田哲)と行成(渡辺大知)は大納言。それ以外の公卿・参議のうち、大納言と中納言は教通(姫小松柾)、頼宗(上村海成)、能信(秋元龍太朗)、長家(豊田裕大)……道長の息子たちが占める。 政の場で立派に務める甥たちに、政治の場から退いた俊賢(本田大輔)は満足そうだ。 明子(瀧内公美)は、嫉妬からも競争心からも解き放たれたように穏やかな老女となっている。お互いに憎まれ口を叩いて「べー」しあう明子と俊賢。帝の血を引く源氏兄妹のこういうところ、すごく好きでした。高松殿明子は、嬉子の産んだ親仁(ちかひと)親王が後冷泉帝として治める世まで生きる。永承4年(1049年)没、享年84歳。長生き! 出家して女院宣下を受けて上等門院を称した彰子は、亡き妹・嬉子の皇子・親仁親王を引き取り、手元で養育している。親仁は彰子の次男である東宮・敦良親王の子なので、孫であり甥でもある。
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