プレゼント交換には想像以上の価値があった…文化人類学から読み解く「贈り物の法則」
恋人から貰うプレゼントの「価値」
ギリシア人とトラキア人のモノの交換に関する価値観の違いは、異文化と触れ合ったときにのみ現れるものではない。同じ文化のもと、同じ人たちの間で行われる贈与や交換でも、こうした価値観の違いが現れることがある。 1993年に心理学者のラッセル・ベルクらによって実施された、アメリカの大学生を対象としたアンケート調査がある。この調査では、恋人との付き合いの深さとプレゼントに対する価値観の関係を調べた。 調査の結果、恋人との付き合いが深まるにつれて、交換されるモノに対する価値観が変わっていくことがわかった。そして、その変化は前述したギリシア人の価値観とトラキア人の価値観の間の移り変わりそのものだったのである。 *あくまでこれから紹介するのは30年前のアメリカの研究なので、価値観が現代の日本と異なることには注意されたい。また、仮に統計的に何らかの傾向が頻繁に見られたからといって、その傾向が正しいとか、それに従って振る舞うべきだと考える必要がないことも付言しておく。 第一段階として、付き合いが浅い相手との交換から考える。デートに誘われるときは、「映画のチケットを貰う」や「レストランでの夕食をご馳走してもらう」など、どれだけ金銭的な価値を自分のために支払ってくれるかで相手の本気度を評価するのだという。 お互いのことがよくわからない段階だからこそ、客観的に測れる価値で相手を評価するというわけである。 第二の段階としてパートナーとしてしばらく付き合いが続いた状態を考えよう。この場合、プレゼントとして評価されるのは金銭的な価値に加えて、どれだけ相手が自分のことを思って選んでくれたかという関係性の価値が評価項目に現れる。 この段階になると、同じ贈り物でも交際相手から貰うのか、他人から貰うのかでは意味が変わってくる。つまり、自分の大切な人が、自分を大切だと思って使ってくれた時間にこそ価値を見出すのである。 贈る側は上記のどちらの段階においても、受け取る側に価値を評価してもらうことで、向こうからお返しのプレゼントを受け取ったり、二人の付き合いが長く続いたりすることを期待している。 最後にさらに付き合いが深くなった第三の段階を考えよう。この段階では、相手からの見返りを求めることなく、ただ相手を思ってプレゼントを選んでそれを贈る行為に価値を見出すという。つまり、これは無償の愛で、大切な人を思って使う自分の時間自体に価値を感じるようになるのである。