プレゼント交換には想像以上の価値があった…文化人類学から読み解く「贈り物の法則」
遠い地域の文化がなぜ似ているのか、これは文化人類学における一つの究極的な謎である。百年以上にわたり、文化人類学者たちは様々な地域の文化を記述し、それらの間に構造的なパターンがあることを発見してきた。 【写真】「近親相姦」はなぜしてはいけないのか…人類最大の禁忌・インセスト・タブー 本連載では、よく似た文化が生まれるのは、人間が社会を作る限りにおいていつでも成り立つ、「文化を生む仕組み」があるからだという仮説のもと、数理モデルのシミュレーションによって、人間文化に普遍的な構造がどのような条件下で、いかにして生まれるのかを探求する普遍人類学の試みを紹介する。
贈り物は返さなければ「毒」になる
「贈り物」を意味する古ドイツ語の“gift”には、実はもう一つの意味がある。 「毒」である。当然、人から贈り物を受け取れば、得をする。しかし、その贈り物は同時に、毒でもあるというのだ。 たとえば、色々な人から贈り物をもらってばかりでお返しをしない人がいるとしよう。この人はモノが増え、経済的には豊かにはなったように見える。しかし、「あいつは人に借りを作ってばかりいるやつだ」という悪評も同時に免れないだろう。 ここでは「贈り物」が「毒」として作用する。贈り物を溜め込んでばかりいると、毒気に当たるように人間関係が侵されてしまうというわけだ。そうなる前に、互いに贈り物をすることで毒は中和しなければならないのである。 このような感覚は、なんとなく私にはしっくりくる。たとえモノを返すのではなくても、何かをしてもらったらお返しをしなくてはと思ってしまう。たとえば、目上の人に食事をご馳走してもらうときには、自分のために時間とお金を使ってもらっているのだから何かお返しをしないと座りが悪いと感じる。かといって、お金でお返しをするのもかえって失礼なので、その場を盛り上げる役目を買って出ることで、態度でお返しをするよう心がけている。 こうした「お返し」を伴うやりとりは文化人類学では「贈与」と呼ばれる。 前述したように、贈与は人々の評判に関わっている。そしてさらに、それは個人間の関係にとどまらず、社会構造さえも形作るのだという学説もある。 そこで、まず初めに、「贈り物」にはいくつかのタイプがあることを紹介し、贈与が行われる場面について解説する。