プレゼント交換には想像以上の価値があった…文化人類学から読み解く「贈り物の法則」
貰ったモノより良いモノを返す理由
「贈り物」の類型を紹介する前に、古代ギリシアのホメロスによる詩集『イリアス』の中に、以下のような興味深い記述があるので見てみよう。 「グラウコスとディオメデスは手を取り合い、忠誠の契りを交わした。するとそのとき、クロノスの子ゼウスがグラウコスから正気を奪い去ってしまった。このため、なんとグラウコスは、ディオメデスが青銅の武具を差し出したのと交換に金の武具を差し出したのである。価値にすれば九頭の牛にしか当たらないものと引き換えに、百頭の牛に当たるものを差し出したのだった」 贈与の社会的な意味を論じた『贈与論』を著した文化人類学者マルセル・モースは同書の中で、この記述はギリシア北部の民族トラキア人の慣習を参考にしているのだと説明した。 トラキア人にとってすれば自然な慣習である「不釣り合いな交換」が、ギリシア人には正気の沙汰とは思えなかったわけである。 トラキア人が不釣り合いな交換をする動機は、より価値の大きなモノを返すことで「あなたとの関係をこれだけ大切にしていますよ」とか、「自分はこれだけのことをしてやれますが、あなたはいかがですか?」というように、相手への敬意や自身の度量の大きさを示すことにあった。平たく言えば「見栄を張った」のだ。 この動機はモノの金銭的な価値だけを考えていては、理解することができないだろう。そこで社会関係にまつわる心理的な価値を指す、「関係性の価値」という概念を導入する。 この概念によれば、たとえば、敬意や愛情を与えてくれる相手との関係は正の価値を持ち、自分を見下してくるような相手との関係は負の価値を持つと言うことができる。 これを用いれば、トラキア人の不釣り合いな交換は、相手から贈られてきたモノと自分から贈ったモノの金銭的な価値の差を関係性の価値に変換しようとするものだと解釈できる。つまり、金銭的な価値が高いモノを与えることで正の価値を持つ関係を得るということである。 これに対し、ギリシア人は交換されるモノの金銭的な価値のみに注目したので、トラキア人の不釣り合いな交換の意図が理解できなかったのであろう。 この慣習に似た事例として、中国の王朝が行った「朝貢」が挙げられる。これは、皇帝が遠くの国の君主たちに贈り物を持って来させて、受け取ったモノの金銭的価値を遥かに凌ぐモノを返礼品として与える慣習である。 金銭的な価値はとても釣り合っていないのだが、自らの豊かさと度量の大きさを示すことで、自分たちが格上であることを自他に認識させる儀式なのであった。