城氏が見た森保J初陣「香川ら海外組はウカウカしてはいられない」
森保ジャパンは見事な船出を飾った。点数をつけるなら100点でいい。日本と同じく世代交代をはかっているコスタリカのメンバー構成や、その実力は、W杯出場チームのそれではなかったが、「どんなサッカーを見せてくれるのか?」と、疑心暗鬼だった3万3891人の大阪のファンの目を釘付けにした。新鮮だった。ワクワク感と、期待感を抱かせる自由な発想に満ちたサッカーである。 ピッチに躍動感を作ったのは、連動と連携、そして、ダイレクトプレーを多用したタテへの攻撃意識の徹底である。北海道胆振東部地震の影響による準備不足もあって、森保監督は、本来、得意とする3バックではなく、慣れ親しんだ「4-4-2」の布陣を組んだ。 左のサイドハーフに中島、右に堂安、小林、南野は、2トップというより、小林をワントップに、南野を1.5列目くらいに置いて自由にさせていた。中島、南野、堂安の3人に小林が絡むアタッカー陣の連携力とアイデア、特に中島、南野の海外組2人のドリブルを絡めた仕掛けが傑出していた。 中島は左サイドで張りながらボールを持つと45度の角度で切り込み、そこからシュートか、パスかを選択する。アタッキングゾーンの前に、スペースがあれば、必ずドリブルで勝負を挑んでいく。その駆け引きと、ゴールへの執着心が抜群によくなっていた。FC東京でくすぶっていたときに取材する機会があったが、常に上を目指し探究心を失わない、その高いモチベーションに驚かされたことがある。 「海外でプレーして突破力を身につけたい」と目標を持っていた。ポルトガルでプレーして1年、間違いなく進化、成長した。 中島が、カットインして切り返すと、そのタイミングを狙って同時に、南野らが動き出す。ひとつのパターンというか、中島の癖やプレースタイルを熟知しての阿吽の呼吸があった。 実は、サッカーには目に見えない「世代の波長」というものが存在する。私たちのアトランタ五輪世代にも、ヒデ(中田英寿)やゾノさん(前園真聖)との言葉で言い表せない感覚の世界での連携、連動があった。例えば、ヒデが右サイドでボールを持ち、「くっ」という一瞬の時間を作った瞬間に私が動き出す、というリズムがあったが、リオ五輪世代の彼らにも、その「世代の波長」が見えた。