西村ゆか、摂食障害や毒親との確執…「しんどさ」を抱えてきたからこそ伝えたいこと
湧き上がる感情そのものに良いも悪いもない
内心は自由だ。休み明けに会社に行くのがしんどいのも、入院していて、認知症が徐々に進む親に会うのがしんどいのも、誰に否定されるものでもない。それを気にする人たちは、すでに十分に自分のことをとりあえず横に置き、今できることをやっていたり、やろうとしている人たちだと思う。 ありのままの感情を受け入れることを心理学用語では「ラジカル・アクセプタンス」というが、起きた感情を自分が認めてあげることは、誰かを攻撃することではないし、迷惑をかけることでもない。ネガティブな感情が長引くと、心身共に不調をきたすことはあるが、問題はそれに対してどう対処するかであり、湧き上がる感情そのものに良いも悪いもないのだ。 だからそういうコメントが来たときは、まずはなるべく受け止めようにしている。その上で、何か自分が提案できることがあるなら伝えるようにしている。やり場の無い感情の存在を、まずは認めてあげることが次に続くことだと思うから。 また、関係に距離を置くことへの罪悪感を感じる人も多い。自分は書籍の中で、母親の死に対して悲しく思ったことと、実際のところ少しホッとしてしまったことの両方を書いた。また、父に関しては、関係に距離を置いたことも正直に書いたのだが、それを読んで「自分もそうだった」「自分だけじゃないとわかって安心した」という声を多くいただいた。 鼎談で内田舞先生も話していたが、誰かに対して100%ポジティブとかネガティブと言い切れる感情というものはほとんど無い。関係が近ければ近いほど、なおさら複雑な感情が絡み合う物だと思う。
まずは自分を大切に
親族と争い、時に傷ついたり憎んだりして、そんな感情が存在することすら、辛く悲しいと感じていた幼い頃の自分は、大人になり、物理的にも精神的にも「距離を取る」ということは、自分の境界を守ることだと理解している。境界を守ることは、自分自身を大切にするだけではなく、不要な憎しみや争いを減らすことにもつながる。 まずは自分を大切に。自分がきちんと元気で幸せじゃないと、誰かのことをきちんと大切にすることはできない。例えネガティブな物だとしても、まずは自分の中に生まれた感情を受け入れ、ゆっくり時間をかけて向き合っていけば良いと思う。その上で、受け入れられないものに関しては、境界を守ることが大事だと思う。 起きた出来事から時間が経って感情が癒えたり、今となっては話のネタとして語れるようなことでも、その時、その瞬間にはやはりショックだったり傷ついた自分がいて、でもただ可哀想なだけは嫌だから、同じ痛みを繰り返さないためにはどうすれば良いかを学んだり、あるいはネタにして笑い飛ばしてしまえという自分もいて、だけどやっぱり大変だったよね、よく頑張ったよなと素直に自分を褒めてあげたり、どうしても受け入れられないものからは距離を取り…そういう全てのプロセスが必要だった。そしてもう一つ、たとえ距離を置いたとしても、楽しかった思い出まで否定することはないとも考えている。 だって、こんなにも色々なことがあったけど、夕暮れ時の公園で母とやったバトミントン、一生懸命作ってくれたのに失敗したちらし寿司を私に出した時の気まずそうな母の顔、コンビニでのたわいもない父とのお喋り、祖父が亡くなった時に、父が一度だけ私を抱き寄せたこともちゃんと覚えている。人は多面的で味わい深い生き物で、それゆえに嬉しかったり悲しかったり、幸せだったり、時にはしんどいのだ。 しんどさや、生きづらさを抱えながらも、それでも日々前に進む方に伝えたい。 心の穴が塞がらなくても、未来に種を蒔いていくことはできる。 大丈夫、とりあえず、生きていきましょう。
西村 ゆか