「ロマンだけで酒造りはできない」ーー被災から12年、世界に挑む東北の老舗酒蔵 #知り続ける
東北にある小さな酒蔵が、日本酒業界を席巻している。2022年は「世界一の酒蔵」の称号を複数獲得。今年1月には定価125万円の酒を売り出すなど話題にも事欠かない。ただ、これまでの歩みは逆風続きだった。1990年代後半には売り上げの10倍の借金を抱えて倒産寸前、東日本大震災では築約140年の蔵が全壊し、移転を余儀なくされた。復活を支えたのは、品質のみを追い求めた酒造りだ。震災12年を経て大輪の花を咲かせた老舗酒蔵の、再生と進化を追った。(取材・文:ノンフィクションライター・川口穣/撮影:鈴木省一/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
内陸部でも酒蔵は全壊に
まもなく発生から12年を迎える東日本大震災の影響は、内陸部でも深刻だった。 宮城県北部を東西に貫く大崎市は、内陸にありながら死者7人(関連死含む)、重軽傷者226人の人的被害と1万2168棟に及ぶ家屋被害を出している。創業から約140年にわたって大崎で酒造りを続けてきた新澤醸造店も甚大な被害を受けた。 「地震だ」「外出て! おっきいよ!!」 当時の映像では、そう叫ぶ現社長・新澤巖夫(48/当時・専務)の声に続き、瓶がたたきつけられて割れる音がこだましている。柱が折れ、土ぼこりで視界は曇った。
当時から新澤醸造店で働く浅野りつ(55)はこう振り返る。 「蔵全体がギシギシと軋(きし)む音は今も覚えています。外に飛び出したけれどそこから動けなくて、蔵は倒れないだろうかと考えながら、ただただ茫然と見つめていました」 揺れが収まって蔵に足を踏み入れると、直前までラベル貼りをしていた製品の山が崩れ、割れていた。 大崎市の震度は6強。敷地内の3つの蔵と新澤の生家はいずれも全壊した。蔵にあった在庫4万本、その大半も破損した。
新澤醸造店の創業は1873(明治6)年。今も続く銘柄「愛宕の松」は詩人・土井晩翠が愛し、歌に詠んだことでも知られる。しかし、1980年を過ぎたころから売り上げは急速に落ち込んだ。新澤が東京農業大学の醸造学科を卒業し、家業を継ぐべく入社した1999年ごろは倒産寸前だったという。最も厳しかった時期には年商2000万円に対し、負債が2億円。売り上げの4割近くが利息の支払いに消えた。味の評判も芳しくなく、「まずい酒」と言われることさえあった。 「夢を持って家業を継ぐというより、『何とかしなければ』という思いだけ。入社して以降、イベント協賛も営業もすべてやめました。少ないお金はすべて酒造りに回すべきだと考えたんです」 当時の主力は、日常的に飲まれるような比較的安価な商品だった。しかし、酒の好みが多様化して日本酒全体の出荷量が落ち込むなか、新機軸なくして生き残りは難しい。2002年、新澤は社運をかけ新たな酒の醸造に取りかかる。