「全部、私の責任だから」母親はなぜ子どもたちを置いて家を出たのか 拘置所で語った6度の結婚と家族への思い【大津女児虐待死事件(中)】
母親との面会は、昨年の秋から今年の夏まで5回に及んだ。「子どもはいつまでたっても子どもよね」「小さい子は目が離せないでしょ」。子育ての喜びや楽しさを語る彼女の言葉には共感することも多く、同じ年頃の子どもがいる私の胸にも自然に入り込んできた。 ただ、子育ては楽しいことばかりではない。つらく苦しいこともあれば、逃れられない「親の責任」を突きつけられる瞬間もある。結婚と離婚を繰り返し、子どもを置いて家を不在にすることが多かった母親はあまりに自分勝手で、親としての覚悟が不十分だったと言わざるを得ないだろう。 一方で、6歳児の死という重大な結果を招いた背景を考えると「母親を責めれば済む話なのだろうか」という疑問も浮かぶ。実愛ちゃんの家庭引き取りを容認した児相の判断は正しかったのか。子どもたちが追い込まれる前に、誰かが手を差し伸べることはできなかったのだろうか。 その答えを探るため、私たちは母親や兄妹と関わりのあった大阪、京都、滋賀の3児相がどう動いたのかを改めて振り返ることにした。
【大津女児虐待死事件(下)】https://nordot.app/1067648091165098431?c=39546741839462401