「全部、私の責任だから」母親はなぜ子どもたちを置いて家を出たのか 拘置所で語った6度の結婚と家族への思い【大津女児虐待死事件(中)】
「話を聞いたら『長男が里親のところでトラブルになって、家を出なきゃいけなくなった』と言われて。それで『じゃあ大津においでよ、一緒に暮らそうよ』って私が長男に言ったの」 大阪市の児相はこの流れに反対した。母親に対して「家庭環境が大きく変わる。長男が同居するなら実愛ちゃんは引き渡せない」と警告したという。だが、母親は行き場を失った息子を放っておくことができなかった。「いったんは諦めて、娘を優先するつもりだったんだけど、最終的には私が児相に内緒で受け入れたの。長男も一緒に暮らそうって。だから全部私の責任よ」 児相の方針に反して始めた子どもたちとの生活は、彼女にとって「本当に楽しい毎日だった」という。長男に「母ちゃん、ダイエットせなあかんで」と言われ、夜中に3人でジョギングをしたこと。仕事から帰ったら、子どもたちが家の片付けや掃除をしてくれていたこと。日常のちょっとした場面を思い出しては、心からうれしそうに語った。
兄と妹の関係に話が及ぶと「2人はすごく仲が良かった。それだけは間違いない」と念を押すように、何度も強調した。 「実愛に『一番大事な人は誰?』って聞いたことがあるんだけど、『1番はきょうだい。ママは2番やで』って言われたのよ。長男はあの子と一緒に遊んだり、学校まで送ってくれたりしていた。だから娘にとっては特別な存在やったんやと思う」 「長男も、なんで実愛を殴ったのって聞いたら『好きな人(妹)に死ねと言われたのがつらかった』って話してたの。『どうでもいい人ならそんな風に思わないけど、好きな人に言われたからカーっとなったんだ』って。それくらい、いつもは仲が良かった」 あの2人なら大丈夫。そう決め込んだ母親は徐々に家に帰らない日が増えた。家事や女児の世話は長男に任せきりになっていった。 ▽「死んだらどうする?」見逃したサイン ただ振り返ってみれば、実愛ちゃんの様子がいつもと違うと感じたこともあったという。亡くなる少し前、7月下旬のことだった。久しぶりに自宅に戻った母親は、娘に「一緒にお風呂に入ろう」と声をかけた。