「全部、私の責任だから」母親はなぜ子どもたちを置いて家を出たのか 拘置所で語った6度の結婚と家族への思い【大津女児虐待死事件(中)】
「いつもは私が先に入って待ってたら、後から実愛も入ってくるんだけど、この日はいくら待っても来なくて。もしかしたら長男に殴られたあざを私に見られたくないと思ったのかもしれない」 「その日は、急に『実愛が死んだらどうする?』なんて言い出したり、翌日、私が家を出た時も『行かないで』って泣きじゃくったりしたの。私はてっきり、学校の友だちにいじめられたのかと思って、あんまり深く考えなかった。あの時、きちんと話を聞いてあげられていたら…」 お兄ちゃんに怒られ、殴られるのはつらい。でも、はっきり「助けて」とは言い出せない。6歳の女の子が精いっぱい考えた末のSOSだったのかもしれない。だが母親はそのサインに気付かず、実愛ちゃんは1週間後に亡くなった。 娘の命が、息子によって奪われる。最悪の結果を招いた原因について、母親は「全部、私のせいだから」「むしろ私を保護責任者遺棄で逮捕してほしかった」などと自分を責めた。
「狭い環境で2人にさせた私が悪い。長男もまだ子ども。遊びたい盛りのときに妹の面倒をみることになり、ストレスをため込んでいたんだと思う」 「知り合いの荷物なんかを預かってたら、家の中もぐちゃぐちゃになっていた。薬物をやっている友人も出入りしていたし。家庭をそんな環境にしてしまったことは反省している」 子どもたちの心情を思いやり、2人を追い詰めてしまった悔いを語る。沈痛な面持ちで話すその言葉に偽りはないように思われた。だが、子どもたちを引き取りながらなぜ放置したのか、不在にしている間はどこで何をしていたのかという点について、彼女が自ら詳しく語ることはなかった。 「そろそろ時間です」。立ち会いの刑務官が面会の終了を告げると、彼女はいつも名残惜しそうに椅子から立ち上がる。「ありがとう。また来てね」。そう言うと、彼女は入ってきた時と同じような姿勢で面会室を出ていった。 ▽「判断は正しかったのか」問われる3児相の対応