【あの人の東京1年目】エルフ 荒川と神保町
「全員殺してやる」と虚勢を張っていた上京1年目
上京を決めたのは、ほとんどノリと勢いです。関西芸人って、関西の賞レースで優勝して、M-1の決勝に行って、関西でレギュラー番組を沢山持って、卒業して上京する、という流れがセオリーになっているんですよ。でも、冷静になって考えた時に「自分たちはそんなに長いスパンで戦うタイプの芸人じゃないかも」と思ったんですよね。どちらかというとキャラで売っている側の芸人やし、どうせいつか仕事がなくなるんやったら、大阪に居続けても東京に行っても同じやし、一回、関西の賞レースを全部諦めてでも、挑戦してみたいと思ったのがきっかけです。 上京したのは2022年、25歳の時なので、今年でちょうど丸2年が経ちました。実は、上京する時に「2年であかんかったら芸人を辞めよう」と決めていたんですよ。大阪の先輩方はみんなすごく応援してくださっていたので、「恥ずかしい姿は見せられない」と自分を追い込んで、「大好きな大阪を捨ててまで行くなら期限を設けよう」と。とにかく結果を出すことに必死でしたね。「最初の2年でTHE W決勝に行けなかったら」「芸人一本で食われへんかったら」と決めて、だからこそ「最初の2年は友達もプライベートもいらん!死ぬ気でやる!」と自分を追い込んでいました。 私が上京した年は、上京組がエルフと見取り図さんの2組だけでした。しかも、大阪から神保町の劇場(※東京NSC19期以降の若手芸人が所属する神保町よしもと漫才劇場)に移籍するのは私たちが初めてだったんです。実際に来るまで、どんな雰囲気なのか全然わからんかったし、仲良い芸人もおらんかったから、言葉を選ばずに言うと「全員殺してやる」くらいに思っていたんですよ。「誰とも喋らんし、仲良くならん」みたいな(笑)。 私は18歳でNSCに入ってから、大阪ではずっと自分が一番後輩という立場だったんですけど、神保町は後輩の方が多くて。最初は後輩との接し方がわからなくて悩みました。タメ口で「おはよう!」って挨拶するのすら恥ずかしかった。自分が一番下という環境に慣れすぎていたんですよね。だから最初は後輩にも敬語で挨拶して、距離を置いてしまっていました。 でも、神保町に来て1ヶ月くらいが経った時、宣材写真を撮影していたら、それを見ていた後輩の子が「エルフさん、神保町へようこそ!」と大きな声で言ってくれたんです。「全員敵や!」と気を張っていたから、まさか優しい声をかけられると思っていなくて、すごくびっくりしたし嬉しかったのを覚えています。それをきっかけに、神保町のみんなの優しさに触れて、今ではもう、みんな大好き(笑)。神保町は、若く活躍されている人がすごく多くて、みんな面白いから「負けたくない」と思えるし、周りの芸人の存在が刺激になっています。懐いてきてくれる後輩も増えて、いつも支えてもらっています。 今は神保町のみんなが好きすぎて、ネタ合わせをする時は楽屋にいないようにしてるんですよ。みんなと顔を合わせると楽しくなっちゃって、やらなあかんこと全部忘れて喋ってまうから(笑)。上京したての時はあんなにツンツンしていたのに、今はもう「せっかくやしいっぱい友達つくろ!」って思っています。この時間が宝じゃないですか。「今しかないねんから、楽しも」というマインドに切り替わりましたね。2年が過ぎたけど、もっと東京におりたいし、今が一番楽しいです。 上京してから、芸人友達もギャル友達もたくさんできたんですけど、もう一つ個人的に大きな出会いだと思っているのがプロレスです。上京1年目の時に試合に呼んでいただく機会があって、初めて見に行ってから虜で、今では趣味の一つになりました。プロレスは、とにかく面白いんです。初めて見た時、細かいルールは全然わからなかったんですけど、心臓を撃ち抜かれて。スポーツを見てあんなに興奮したのは初めてだったんです。プロレスラーの方は、何回倒れても立ち上がるんですよ。その姿を見て、「私も弱音ばっかり吐いてられへんな」と勇気をもらったし、プロレスを見ていると、面白すぎて悩みとか全部吹き飛ぶんですよね。だから、今はプロレスを見に行ける休みを常に探しています(笑)。