【あの人の東京1年目】エルフ 荒川と神保町
吉本に入れるだけで良かった
子どもの頃から、テレビは大好きやったし、ずっとお笑いに対する憧れはあったけど、芸人なんてなれるもんやと思っていなかったんです。でも、高校生の時にNSCの存在を知って、自分にもお笑いの世界に行くチャンスがあるなら挑戦したいと思って、卒業後はNSCに行くことを決めました。 でも、進路相談で担任の先生に言ったらめちゃめちゃ反対されたんです。お母さんとの三者面談で、先生が「こんなこと言ってますけど、娘さん大丈夫ですか?」ってお母さんに言ったんですよ。私は何を言われてもいいけど、お母さんに向かってそんなふうに言われて、悔しかったのをよく覚えています。 当時の自分は、吉本に行けるだけで良かったんですよ。「こういう夢を叶えたい」「売れたい」とかじゃなくて、“お笑い”ができる場所に行けるだけで幸せやったから、「芸人なんてやめた方がいい」とか言われても、「どうでもいいから早く行かせて」って感じやったんです。でもお母さんの意見は自分にとって大きかったから、進路相談の帰り道に「とりあえずやってみて、諦めるなら諦めるでいいやん」と言ってくれた時に、決心できました。あの時、反対されていたらどうなっていたかわからないですね。
「おもしろ荘」出演をきっかけに駆け抜けた大阪時代
NSCは「吉本におれるだけでまじアゲ」みたいな気持ちで入って、芸人になりたい人しかいないから楽しい場所だと思っていたら、みんな敵対心がすごくて怖かったのを覚えています。仲良く和気藹々というよりは、ギスギスしていました。今となったら、みんなそれぞれ「こういう風になりたい」という強い思いがあるからこそぶつかるし、同期のネタに対して笑わん、みたいなスタンスの子がいたのも、若いし当然のことやと理解できるんですけど、その時の私にとっては衝撃でしたね。 NSCを卒業してからは大阪の劇場で活動していたんですけど、コロナ禍に入ってからは出番が少なくなってしまって。その頃にTikTokに動画投稿を始めたら、徐々に反応をもらえるようになって、2021年の元旦には「おもしろ荘」に出させてもらいました。おもしろ荘の反響はすごくて、テレビの仕事が一気に増えました。子どもの頃にずっと見ていた番組とか、出たいと思っていた大阪の番組は全部出させてもらったと思います。 いざ、テレビに出てみて感じたのは、先輩方との実力の差。劇場では芸歴で分けられることが多いけど、テレビは、芸歴20年目の先輩も7年目の後輩も同じ扱いじゃないですか。そんな中で、全然実力がないのに仕事がもらえている自分に対するモヤモヤが募っていって。子どもの頃からお笑いが大好きだったからこそ、すごい先輩たちの中で「私みたいな中途半端な人間がずっとおっていい世界じゃない」って、ずっと苦しかったです。