子どもの自殺が多い「9月1日」――内田也哉子が識者と考える「もし自分の子どもに学校に行きたくないと言われたら?」#今つらいあなたへ
毎年夏休み明けの「9月1日」には、子どもの自殺が増える傾向にある。故・樹木希林さんは、生前からその事実に胸を痛め、自分にできることはないかと思い詰めていたという。そんな樹木さんの想いを引き継いだ娘の内田也哉子さんは、生きづらさを抱える子どもたちに寄り添い、取材や執筆活動をしてきた。もし夏休み明けに自分の子どもから「学校に行きたくない」と相談されたら、どうすればいいのだろうか?15年以上に渡って教育の現場で子どもと向き合い続けている「放課後NPOアフタースクール」代表理事の平岩国泰さんと語った。(Yahoo!ニュース Voice)
母・樹木希林さんから、娘・内田也哉子さんが受け取った「バトン」
内田: 私が「9月1日」について知ったのは、5年前。ガンを患っていた母が、急遽大きな手術をすることになった時のことです。ある日私が病室に入ると、母が窓の外に向かって言葉を繰り返していました。かみしめるような声色で「死なないでね」「お願いだから生きてください」と。さっぱり状況がつかめず、「どうしたの?」と尋ねると、母は「今日9月1日は、子どもたちが大勢、自分で死を選んでしまう日なの」と話してくれたんです。病気では一切しょげなかった気丈な母が、自分の死を目前にしている最中だからこそ、「未来ある子どもたちが自ら命を絶つということをしないでほしい」「命がもったいないよ」と、ひどく思い詰めた様子でした。 母は晩年に、日本で唯一の不登校専門紙である「不登校新聞社」の取材を受けたことをきっかけに、9月1日のことを知ったようでした。自分がこの問題にかかわることで何か風穴を開けることはできないかと、シンポジウムに参加したり、講演会で話をしたりと、母なりに活動していたそうです。私はイギリスに住んでいたため、母のそういった仕事や日本の子どもたちの現状については、その瞬間まで知らずにいました。そのことについて、まずとても恥じました。 それから2週間後に母は他界してしまったのですが、私はなんだか、最後に母から「バトン」を受け取ったように感じたんです。三人の子どもを持つ母親として、あるいは社会の一員として、自分にできることは何かを考え始めて。その結果、母の遺した言葉や、不登校を経験した方やその周囲の方に直接取材して伺ったお話を本にまとめ、出版する機会をいただきました。