大神いずみ「長男・翔大の履正社の卒業式。挨拶はまさかの短さ!関西弁に囲まれながら〈学校の皆さんに育てていただいたんだなあ〉と感慨深い」
◆果てしない「なにわワールド」 東京に移り住んで何十年経った人でも、コッテコテの関西弁を1ミリも崩さず暮らしている人は多い。野球人にはかなりかなりかなり多い。 そして関西人同士のセンサーが作動すると一瞬にして東京の言葉から関西弁に切り替わり、そこに果てしない「なにわワールド」を拡げ始めるのだ。 うちの夫は自らを「標準語と関西弁のバイリンガル」と称しているように、臨機応変に言葉のチャンネルをパチパチ切り替えている。 普段は「先ご飯食べちゃってー」というような夫も、圧倒的に、怒ってケンカモードになると何を言っているのかわからないガルガル巻き舌の関西弁だ。 「なに言うとんのか、こるるぁあ!!」 私が夫と絶対に口ゲンカしないと決めたのは結婚して間もなくからで、これが理由だ。 こちらは冷静に、叱られながらお給料をいただきながら「喋り」を修行した身。 凄んだ勢いで放つ言葉にあまり深い意味はない、と最初から応戦しないことにしている。 でもやっぱりまくしたてられると、怖い。 そんな、言葉がまったく違うようなところへ1人でやってきた息子・翔大は、やはり大阪の学校や地域に馴染むためなのか、喋り方があっという間に変わってしまった。 地元の人が聞いたら違和感満載の関西弁を喋り出したのは、大阪に行って割とすぐのことだった。
◆「よそ者」な感じで大阪に暮らしていた日々 私も履正社の入学式のとき、式の最中どこもかしこも関西弁の人がお話ししているのを聞いて(当たり前だが)、改めて「外国」に来たような感覚を覚えた。校長先生が関西弁でお話しになっているのを聞いていて、やっとじんわり「ああ…息子を家から遠くに出したんだなぁ」と気づき始めた。 私にとっては最後の最後まで、その感覚が薄れることがなかった。 そこから毎日関西人に囲まれて、学校やその土地に馴染んでいけばいくほど、翔大の言葉はみるみる「夫のケンカモード」な言葉に変わっていった。それがわたしには少し心配でもあり、大阪の生活に馴染んでいる証拠だという、少しの安心でもあった。今では翔大、関西弁ペラペラだ。 ずっとこれでいく、と言っている。いや、そろそろ「おかん」はやめて。そう呼ばれて「うん、だからさぁ…」と返す東京の人間もまあまあ恥ずかしいのである。 いやきっともっと穏やかで温かな関西弁もあるに違いない。 わたしがよく知らないだけだ。 義理の母の生粋の神戸の言葉は、いつも抑揚が優しくて温かい。…ただよく聞くと言っていること自体かなりキツい内容だったりするので注意は必要。博多弁だって同じようなものかな。 いつ何度行っても「よそ者」な感じで大阪に暮らしていた日々も、そろそろ終わりに近づいてきた。 3年間で思い通りにいかないことが多かったなか、唯一息子もわたしも安心して寛げる部屋を大阪に持ったことは、とても幸せなことだった。 まあ、これからも何度も実家には帰ってくるので 大阪にお別れでもないのだけれど。