関根潤三に請われヤクルトのコーチとなった安藤統男は、選手たちに激高「おまえらそれでもプロか!」
微笑みの鬼軍曹~関根潤三伝証言者:安藤統男(前編) 【相棒として手伝ってほしい】 関根潤三に「力を貸してほしい」と請われた男がいる。かつて阪神タイガース監督を務めた安藤統男だ。それまで、関根と安藤に接点はなかった。1986(昭和61)年、秋のことだった。当時、両者ともにユニフォームを脱いでおり、それぞれ評論家として日本シリーズ取材を行なっていた頃のことだ。 【写真】ヤクルトのダンスチーム「Passion」2024年新メンバー5人・厳選カット集 「86年の日本シリーズの取材で広島市民球場に行っていた時のことです。当時、ニッポン放送のアナウンサーだった深澤(弘)さんの仲介で、初めて関根さんに会うことになりました。すると、『来年からヤクルトの監督になるんだけど、アンちゃん、ちょっと手伝ってくれないか? チームを変えたいと思っているんだ』と言われました。この時、関根さんは僕に、"コーチとして"ではなく、"相棒として"と言ったんです。ひと回りも年齢は離れていましたから、この言葉は今でも印象に残っています」 本連載において若菜嘉晴も言及していたように、関根と深澤は懇意の間柄にあった。ここでも関根は深澤を頼り、深澤は関根のためにアクションを起こした。この時、関根は「コーチとして」ではなく、「相棒として」と口にした。関根は安藤を尊敬し、同時にその指導力を欲していた。安藤の力がどうしても必要だった。関根が大洋ホエールズの監督を務めていた頃、安藤はタイガースを率いていた。関根の自著『若いヤツの育て方』(日本実業出版社)には、安藤について次のような記述がある。 私が大洋の監督をしていたとき、彼は阪神の監督だった。チーム成績には恵まれなかったが、敵将ながらその采配にはたびたびうならされた。「ここで、これをやられたらいやだな」 と思っていると、きっちりそれをやれる指揮官だった。いわゆる相手の嫌がる采配のできる監督だった。私は当時から彼の指揮官としての頭脳を高く評価していた。 この一節を安藤に告げると、「いやいや、とても畏れ多いです」と頭をかいた。 「でも、関根さんにそこまで言われたら、もちろん『イヤです』とは言えないし、こちらとしても、『ぜひ力になりたい』と思いますよ。それで、関根さんの言う『チームを変えたい』という思いを実現させるためにお手伝いすることを決めました」