直感力を高めるには? 『センスの哲学』の著者で哲学者の千葉雅也に聞いた
他人のセンスに惑わされず、自分の直観を楽しむために
──今やSNSをはじめ、そこかしこに“センス自慢”があふれています。それらに惑わされることなく、自分だけの直観で物事を楽しむにはどうすればよいでしょう。 「そうした画像や映像は参考にはなるとして、重要なのは自分がどうするかです。その上でいえるのは、誰もが自分の文脈というものを持っているはずだということ。例えば子どもの頃から好きだったものや、複雑な感情を抱いている対象など、単に好きというよりも、何か気になって仕方がない癖が表れたり“苦み”を感じたりするもののほうが、大きなポイントにつながる気がします。 であれば、まずはその文脈を掘り起こしてみる。ファッションであれば、昔好きだったアイテムをリバイバルさせてみてもいいでしょう。流行に合わせるだけでなく、それが今の時代状況においてどう見えるか、自分の文脈をどう再構築できるかを試してみる。これ自体が一つのクリエイティブな遊びであり、自分自身を治療するようなプロセスにもなり得ると思います。『センスの哲学』にも付録として、自分のセンスを活性化し、芸術と生活をつなげていくための三つのワークを掲載していますので、ぜひ試してみてください」 ──小誌はモード誌として、いわばお手本になるべきセンスを取り扱ってきたわけですが、それを自分の文脈といかにリズムよく交差させるかが大切だと感じました。 「とてもわかりやすい喩えだと思います。誰かが作った表現を直観で捉え、それを自分のリズムと交差させることで、新しいハイブリッドを生み出していく。ファッションとはまさにそういう遊びではないでしょうか」 ──実は小誌の創刊テーマは「毒抜きされたモード誌はもういらない」。先ほどおっしゃった“自分だけの苦み”と共通するものがありますね。 「そう思いますよ。文化は決してポジティブなものだけで構成されているわけではない。それどころか、その根本には否定性がある。何かを面白いと思うのは刺激を感じることですが、突き詰めるなら生命にとって刺激とは安定した環境を揺るがすもの、不快に他ならないという考え方がある。クィア理論の研究者であるレオ・ベルサーニは、そうした不快な刺激に耐えて人間が生きていくことそれ自体がマゾヒズム的であり、文化にはその否定性を肯定的に転化する働きが含まれると述べています。 ファッションであれば、人を驚かせるようなデザインや、不良文化につながる側面などがそうですね。もし快適さや機能性だけが必要であれば、誰もが昔の未来予想図に描かれた全身タイツのような格好をしていればいい。そうではなく、いかに無駄や過剰さ、いわば毒を楽しむか。これもまた、直観やセンスの効能の一つといえるかもしれません」