直感力を高めるには? 『センスの哲学』の著者で哲学者の千葉雅也に聞いた
言葉による意味から離れて、物事全体をリズムで捉える
──よく聞く俗説に、人間の右脳は感覚を、左脳は論理的な思考を司っており、もっと直観的に右脳を働かせるべきだという話がありますね。 「まず、その話は科学的な裏付けが極めて疑わしい。それに『論理』という言葉の扱い方に問題があります。一般的に『論理的な思考』というと、日本語や英語といった自然言語(人間が意思疎通に用いる日常的な言語)で文脈を展開していくイメージだと思うんです。でも、人間は意識せぬままに身の回りの空間や環境を認識し、自分の行動を制御しています。いわば脳内で絶えず非常に複雑な計算をしているわけです。 それを言葉で説明できないのは、自然言語とは別の作用が働いているからであって、決して『非論理的』だからではない。直観をはじめとする感覚的な体験をうまく言葉にできないのも、それと同じことだと思います」 ──なるほど。一方で現代社会は合理的な意味を求めるあまり、人間性が抑圧されているといわれます。誰もが自由に自分らしさを発揮する上で、直観を重視することは一つの解決策になり得るでしょうか。 「わかりにくい事柄について深く考えたり議論したりすることなく、すぐに目的や意味をはっきりさせたいと考える傾向が強まっているのは確かだと思います。問題の一つは、やたらと話を単純化したがること。しかし、芸術作品やエンターテインメントのコンテンツ、食べ物の味やパーティの人間模様など、人間が住む世界のどこを取っても単純な話に収まることはそうそうない。どんな物事も決して一言では説明ができないほど複雑な要素で成り立っていて『ここが役に立った』『こういう学びがあった』と言うことはできるけれども、それはあくまで一部だけを切り取っているにすぎません。 だからこそ、出来事全体を意味ではなくリズムとして捉えてみる。元の複雑さを単純な良しあしで判断せずに、複雑なまま受容するよう心がける。それは世界と自分のあり方を思い込みによって狭めずに、そのまま肯定する方法ともいえるでしょう」 ──そうしたものの見方に長けているからこそ、アーティストは自由な存在だといわれます。しかし、表現の道で生きていくには作らずにいられない切実さや執着など、自由とは相反する要素が欠かせない。この矛盾をどう説明しますか。 「確かに『センスの哲学』でも『芸術とはそれを作る人の『どうしようもなさ』を表すもの』だと書きました。ただ、今の話でいう『自由』とは、一般社会の常識にとらわれず気ままに振る舞うといった、アーティストの行動にまつわるイメージの話ではないでしょうか。ともあれ、創造的なことに関わる人は往々にして、社会通念に対する息苦しさや生きづらさを感じている場合が多いものです。そのなかでどうしても表れてしまう癖のようなものがあれば、それこそが表現における個性やオリジナリティになっていくのだと思います」