「こんなにも必要とされていないのか…」再就職したくても30社の面接落ち! 撃沈した専業主婦が、年商5億円を稼ぐようになったワケ
現在、九州を拠点に、フラワーショップやフラワーアレンジメントの教室のフランチャイズ化、さらには動画制作事業やSNSマーケ、飲食店の経営など、驚くほど多角的に事業展開されているアフロディーテ&Co.株式会社の敏腕女性社長の原奈緒美さん。 【表】シニア世代の就業率は? 老後、1カ月の生活費の平均は? 「ドバイみたいな、キラキラの世界観が大好きなんです!」とおっしゃる通り、インタビューに現れた瞬間「まぶしい~っ!!」と感じてしまったくらいのキラッキラのファッションに身を包んでいました。 内面からもハッピーオーラがにじみ出ていて、きっとこれまでの人生も順風満帆だったに違いない…と思わせる明るさをまとっています。 しかし実際は、本人の言葉を借りれば「何の取り柄もない普通の主婦」からのスタート。起業してからも、九死に一生を得たような全治7ヶ月の大事故や倒産の危機も体験しています。 苦しい中でも諦めず、現在の成功を手に入れた秘訣は、常にプラス思考で自分と向き合ってきたこと。 原さんのこれまでのドラマのような半生を伺ってきました。 普通のOLからの結婚、妊娠、そして退職。とにかく「中の中の中の人生」でした。 現在、多くの事業の経営者として多忙な日々をおくっている原さん。若いころから起業精神あふれる女性だったのかと思ったら…。 「私なんて、いい学校を出ているわけでもないし、お嬢様のような暮らしをしたこともない。そもそも起業して自分が社長になるなんて、これっぽっちも想像していませんでした。私はいつだって中の中の中。ごく普通の存在だったんです」 独身時代は美容機器メーカーでOLを経験し、20代半ば前半ぐらいで結婚退職をされた原さん。 「結婚したら、仕事を辞めて専業主婦になるのが当たり前の時代。疑問もなく主婦になって、妊娠、出産。ですが、家で主人と子どもだけの生活が続くと、それだけの生活に物足りなさを感じはじめました」 「このままでいいのかな。子どもは可愛いし、幸せなんだけど、自分の人生がこれで決まってしまったような寂しさや、世間から放り出されて、家族以外の誰からも必要とされていないような疎外感を抱き始めました。自分の生きている意味ってなんだろう…とか」 原さんは、ずっと家にいるから余計なことを考えてモヤモヤしてしまうのだと感じ、仕事をしたいとご主人に相談をすることに。 「夫は九州男児なので、『え、何を言ってるの。子どもが小学校に入るまで、そんなこと考えちゃダメだよ』と言われちゃって。でも、ずっと子どもと一緒にいることが、愛情の証とも思えなかったのです。それで、少しずつ、夫を説得し、『じゃあ、家庭に支障のない範囲だったらいいよ』ってことで仕事をはじめることになりました」 それは現在30歳になる長男が3歳くらいのこと。 独身時代に勤めていた職場から「短時間でいいので手伝って」という引き合いもあり、以前の職場に復帰することになりました。 「でも、以前と同じ職場に戻ると、同僚から『早く帰っていいよ』と言われても自分だけ先に帰りづらいんですよ。それで、結局、周りと同じように働くことになってしまいました。いつも夫と子どもにごめんねって言いながら…。家庭を犠牲にするつもりはなかったので、その頃は本当に苦しかったです。そしてすごく疑問を感じたんです。どうして女性だけがこんな風に罪悪感を抱きながら働かないといけないんだろう…って」 原さんは、当時、勤めていた美容機器のメーカーでインストラクターをしていました。営業担当が契約したサロンや美容室に伺い、機器の扱い方や施術の指導をするのが主な仕事。お客様の都合に合わせることが多いので、夜が遅くなりがちで、土日も出勤が当たり前の世界。 「それで、あぁこの業界で働くのが無理なんじゃないかって思い始めたんです。だから平日の9時~17時勤務の事務職なら無理なく仕事ができるのではないかと、新たに仕事を探し始めました」 しかし、ここで予想外の出来事が…。 「ところがですね。事務となると私、何もできないんですよ!! 当時はまだワープロの時代ですが、それすら私、使えなかったのです。 実は、30社の面接を受けて、なんと全社不採用。 当時、まだ私は若くて20代なんですよ。こんなに自分は必要とされていないのか…と驚きました」 普通なら、そこで落ち込んで諦めるかもしれません。でも原さんが違っていたのは、とてつもないポジティブ思考の持ち主だったこと。 「だったら、自分で自分の仕事場所を作るしかないなって発想を変えたんです。受け身じゃなくってね」