自分たちで判断しているという「錯覚」……人間の脳はなぜ心を作ったのか
人口が減少し、社会の成長が見込めない時代といわれます。一方で、科学技術の進化が、高齢化の進む日本の未来を、だれにとっても暮らしやすい社会に変えるのではないかともいわれています。わたしたちは一体どんな社会の実現を望んでいるのでしょうか。 幸福学、ポジティブ心理学、心の哲学、倫理学、科学技術、教育学、イノベーションといった多様な視点から人間を捉えてきた慶応義塾大学教授の前野隆司さんが、現代の諸問題と関連付けながら人間の未来について論じる本連載。11回目は「脳はなぜ心を作ったのか」がテーマです。 ----------
「受動意識仮説」とは
連載、11回目となりました。ここからはしばらく、これまでとは趣向を変えて、これまでに書いた本に関することを書こうと思います。 2004年に『脳はなぜ「心」を作ったのか ── 「私」の謎を解く受動意識仮説』(筑摩書房)を書いたのが42歳の時でした。あれから、14年。この間に16冊の単著の本と、40冊の共著の本を書きました。売れた本も売れなかった本もありますが、どれも私としては想いを込めて書いた本ばかりです。 実は、一番売れた本は、最初に出した『脳はなぜ「心」を作ったのか ── 「私」の謎を解く受動意識仮説』なんです。単行本が2万部、2010年に出た文庫版が2万部。じわじわと今も売れていて、再版を重ねています。 そこで、今回はこの本について書こうと思います。以前、「受動意識仮説」についていつか詳しく書くといいましたし。 「受動意識仮説」とは、私が名付けた名称で、要するに、私たちの意識や、意識される自由意志は、思いのほか受動的なものなのではないか、という仮説です。
人間に自由意思はない
カリフォルニア大学サンフランシスコ校、神経生理学教室のベンジャミン・リベット教授が行った衝撃的な実験を紹介しましょう。 リベット教授は、被験者の脳に電極を指して、「指を曲げよう」と意識した瞬間と、「指よ曲がれ」という筋肉への指令が脳の運動野で出た瞬間を計測しました。結果は興味深いものでした。自分が「指を曲げよう」と意識するよりも、平均で0.35秒前に、筋肉への指令、つまり脳の活動が始まっていたというのです。 なんと、意識で感じるよりも、無意識下の指令の方が、先行していたのです。 多くの人は「自分の意思で指を曲げようと決めたから、指が曲がった」と考えますが、実際のところ、指を曲げようと決めたのは意識ではなかったのです。脳の無意識の部分がやっていた、というわけです。 しかし、私たちは、無意識ではなく、意識が行動を決めているような気がします。それは、「指を曲げよう」と思ったときに「曲がった」と思えたほうが、行動と意識の間の因果関係も理解しやすいし、行動のあとの結果が予測しやすいからだと考えられます。 私たちは、あたかも自分がやっていると錯覚するように、そう感じるちょうどいいタイミングで行動を意識するよう、巧妙に作られているのです。まるでロボットのように。 あまりにも生き生きと意思決定している自分を感じるせいで、多くの人は「意識」のことを、判断を下す司令塔のように感じています。 しかし、「意識」は「幻想」です。幻想とは、あたかも存在するように生き生きと感じられるけれども、本当はないもののこと。意識は、脳の無意識の部分が動作した結果を受動的に受け取って、あたかも自らが主体的に意図したかのように、つまり、「幻想」をリアルであるかのように錯覚する機能に過ぎないのです。 これが、私の考える「受動意識仮説」です。あくまで仮説ではありますが、多くの脳神経科学の結果を説明できる合理的な仮説だと私は考えています。 「受動意識仮説」の下では、人間には本当は自由に下せる判断なんかない、ロボットのように単に外部情報を反射して動いるだけだ、ということになります。 人間に自由意思はない、ということです。 「お前はすでに死んでいる」ようなものだということです。昔あった漫画のようですね。言い換えれば、人間はロボットのような自動機械だったのです。 「お前はすでに死んでいる」「人間はロボットだ」と言うと、反論する人が少なからずおられます。 その気持ちはわかります。 「花が美しい」とか「新たに自分の意思で行動した」とか、いきいきと感じている意識が幻想だと言われても信じたくないかもしれません。自由に生きていると思っている自分が、実はロボットやゾンビみたいなもので、実は何も決められないと知るのは面白くないかもしれません。面白くないというより、怖い、というべきでしょうか。 しかし、「お前はすでに死んでいる」ようなものだと思うと、気が楽になってせいせいする、という気もしませんか? 自由意志が本当はなく、すべては無意識的な脳の指令の結果に過ぎないということは、まあ、あれこれ悩んだって無駄ということです。なすがまま、ありのままに生きるしかない。気楽でいいじゃないですか。 これが今の私の世界観の元になっています。