自分たちで判断しているという「錯覚」……人間の脳はなぜ心を作ったのか
銀婚式、妻への手紙
せっかく受けた生。たまたま、幻想として、心を持っているかのように感じられる期間を過ごせる幸せ。このはかない幸せをエンジョイしようではないか。そう思いませんか? 私ごとですが、2008年5月22日は妻と私の結婚25周年でした。銀婚式です。妻に書いた手紙を、ちょっと恥ずかしいですが、ここに再掲したいと思います。 マドカへ 25年間、いつも一緒にいてくれてありがとう。 マドカのおかげで今の僕があります。 辛くてくじけそうだった時、 いつも優しく大丈夫といってくれたから、 頑張れました。 子供達が優しく希望に満ち溢れた大人に育ったのも、 一緒に力を合わせたからですね。 世界中の人々を幸せにするために、 一緒に幸せの研究や活動をできていることも、 幸せです。 二人で力をあわせ、共に成長してこれたことが、 何よりも幸せです。 優しい笑顔。優しい声。 僕や家族や世界中の人々への、限りのない愛。 そして、やると決めたらやり抜く強さ。 いつも心から素敵だと思っています。 尊敬しています。 これからも、楽しみです。 ずっと一緒に、歩んでいきましょう。 でもいつか、この人生が終わり、 マドカに会えない時が来るのかもしれないと思うと、 それだけが憂鬱です。 もしも生まれ変われるのなら、 また必ず巡り合って、 また共に生きていきたいです。 もしも風や土に還るのなら、 いっしょに風になって、 いつまでもいっしょに世界中を 吹き回っていたいです。 永遠に。
心は幻想、体も幻想
このメッセージの最後に書いたように、心は脳の神経回路網が作った幻想に過ぎず、死んだら炭素や水素などでできているこの肉体は風と土に戻り、死後も残る霊魂なんてないのだろうなあ、と私は思います。 だから、好むと好まざるとにかかわらず、私たちは死後には風になって、世界中を吹き回るんだろうなあ、と思います。 受動意識仮説を論文や本に書いた頃から、そう思っています。もちろん、スピリチュアルな世界を肯定する人がいても構わないと思うのですが、私は、心の問題はすべて科学的に説明可能、と考えます。 上の詩の対象は妻でしたが、これをすべての人々に読み替えても成り立つと思っています。 愛おしい世界中の生きとし生けるものたちへ これまで、いつも一緒にいてくれてありがとう。 みんなのおかげで今の僕があります。 辛くてくじけそうだった時、 いつも優しくまわりにいてくれたから、 頑張れました。 これまで僕が色々な活動をして来れたのも、 みんなと力を合わせたからですね。 世界中の人々の幸せのために、 それぞれにできることを、 それぞれ分担してやれていることも、 幸せです。 みんなで力をあわせ、共に成長してこれたことが、 何よりも幸せです。 世界中のみんなの優しさ。 世界中の人々から、 世界中の人々への、 限りのない愛。 みんな、素敵です。 尊敬しています。 これからも、楽しみです。 ずっと一緒に、歩んでいきましょう。 でもいつか、この人生が終わり、 みんなに会えない時が来るのかもしれないと思うと、 それだけが憂鬱です。 もしも生まれ変われるのなら、 またみんなと出合って、 また共に生きていきたいです。 もしも風や土に還るのなら、 風になって、 いつまでも世界中を 吹き回っていたいです。 永遠に。 心からそう思います。私はこの世界の一部分である以外の何物でもない。心は幻想。体も幻想。たまたま、進化といういたずらの結果として、一つの個体の形をとって現代に現れ出て来たに過ぎない。 しかし、言い換えれば、奇跡です。進化といういたずらの結果として、宇宙の一部が一つの個体という形になれたこと。そして、この豊かな世界で、100年弱という短い期間とはいえ、人間としての生を味わい尽くすことを許されたこと。なんて、すばらしいんでしょう。 一生が終わると、私たちの体を構成している炭素や水素やその他の原子・分子たちは、当然ながら、また別の形でこの世界に存在し続けます。無生物になったり、生物になったり。 受動意識仮説の延長線上には、このような世界観が導かれると、私は考えています。 【参考文献】 ・『脳はなぜ「心」を作ったのか ── 「私」の謎を解く受動意識仮説』(筑摩書房、2004年) ※次回は6/30ごろ掲載予定です。