まずはお互いを知る機会を――インクルーシブ教育を目指す、障害当事者たちの声 #令和の人権
「おかしい」と思い始めたのは、中学を卒業して寄宿舎制の平塚養護学校に入学した後だ。この頃、重度障害者が地域で自立している実態を初めて知り、強い衝撃を受けた。 「自立したい、地域に出たい、恋をしたい……。私がそういうことを考えたとしてもそれは罪じゃない。そう思うようになったんです」 早速、進路指導で「地域で自立したい」と伝えると、「何もできないお前が地域に出たって迷惑にしかならない。思い上がるな」と言われた。ただ、一方で「人間は社会で生きるのが当たり前だ。その思いを持ち続けて実現したほうがいい」と後押ししてくれる教師もいた。そんな時に、東京都国立市で「かたつむりの家」という障害者の自立生活のための家がオープンした、という新聞記事を目にする。木村さんはこの記事を切り抜き、大切に取っておいた。そして卒業後、施設に入ることを拒否し、この切り抜きを持って家を出た。
「やっぱり相手のことを知らないと、相手に思いやりを持てないんです、人間って」
木村さんが自立生活を始めてから、すでに40年近くが経っている。しかし、健常者の世界と分けられて育った感覚は残り続けている。 「朝起きた時、自分がいるのは施設なのでは、と思うことがあります。そして、いまだにそんなことを思ってしまうような環境に置かれてきたことに対する怒りや悲しみもあります。何十年経っても、子どものころから分断された弊害が体と心に残り、自分を苦しめ続けています。そんな思いをこれからの子どもたちにはさせたくない」 障害者と健常者を分けていく構造は昔からあるが、お互いを知る機会はさらに少なくなってきたと木村さんには感じられるという。 「やっぱり相手のことを知らないと、相手に思いやりを持てないんです、人間って。分ける社会は確かに効率が良いのかもしれない。けれど、一方で人と人が支え合うなんてきれいごとだと考えるような社会をつくってしまう。そんな殺伐とした社会にしないために、インクルーシブ教育が必要なんです」