まずはお互いを知る機会を――インクルーシブ教育を目指す、障害当事者たちの声 #令和の人権
「いいことも悪いことも、他の同級生と同じように経験していくのが権利なんだ」
高校、大学を卒業し、障害者運動に関わるようになったとき、障害者が他の人と同じように生活できないのは障害者がいる前提で社会がつくられていないからだ、という「障害の社会モデル」の考え方を知った。今では世界的常識の障害理解に触れたことで、「障害がある自分が悪い」と思い込んでいた自分を客観的に見られるようになった。
さらにその頃に出会った海老原宏美さん(2021年12月、44歳で死去)が川端さんに大きな影響を与える。海老原さんは全身の筋肉が徐々に衰えていく進行性の難病だったが、車椅子や人工呼吸器を使いながら地域で自立生活を送り、テレビや全国各地の講演、書籍などで積極的にインクルーシブ社会の実現に向けたメッセージを送り続けた。特にインクルーシブ教育の推進に熱心で、2017年6月にTIPを立ち上げた人でもある。 海老原さんは「いいことも悪いことも、他の同級生と同じように経験していくのが権利なんだ」と川端さんに教えてくれた。「舞ちゃんが苦しかったのは普通学級にいたのが悪かったんじゃない。学校が統合教育で、舞ちゃんが過ごしやすい環境になっていなかったのが悪かったんだよ」とも話してくれた。
川端さんは、小中学校時代を振り返り、後悔の念におそわれることがある。 「私は普通学級で『頑張り屋さん』と言われて育ちました。でも、無理して頑張ったことで、もしかしたら後の世代の障害児たちに、頑張らないと普通学級に行けない環境を押し付けてしまったのではないか、と申し訳ない気持ちになります。普通学級に行くのは障害児の当たり前の権利なのに……」 だからこそ、今は他の障害者が生きやすい社会をつくるために活動したいと強く思う。 障害者とLGBTQの連帯イベントは、川端さんと間々田さんが同じ教室で過ごしたからこそ実現したものだ。 「いろんな同級生に出会うって本当に大きなこと。最近改めて思っています」
「親が死ぬ時に一緒に死ぬ。それが私の人生なんだと思っていた」
「18歳まで同じ年の健常者の友達は地域にいませんでした。幼い頃の時間は大人になって取り戻したくても取り戻せません」 2023年12月16日、東京都立川市で海老原宏美さんの志を引き継ぐ集いが開かれた。オンラインで参加した参議院議員の木村英子さん(58)は、スクリーン上でインクルーシブ教育の必要性を語っていた。 1965年に横浜市で生まれた木村さんは、8カ月の時に歩行器ごと玄関に落ち、首の骨を損傷。後に脳性麻痺があることも分かり、施設に入った。以後、短期間自宅に帰った時期はあったが、18歳まで施設と養護学校で過ごした。 「私はほとんど社会を知らずに育ちました。子どもの頃は、自分の命を支えているのは親と施設の職員しかいなかった。父には『やっぱり自分が死ぬ時にこの子を連れて行かなければ』と言われました。だから中学の時まではずっとそう思っていました。親が死ぬ時に一緒に死ぬ。それが私の人生なんだと」