まずはお互いを知る機会を――インクルーシブ教育を目指す、障害当事者たちの声 #令和の人権
「障害がある自分が悪い、生理になった自分が悪い」と思っていた
2023年の秋分の日。東京都三鷹市で障害者とLGBTQの連帯イベントが行われていた。壇上にいたのは、茨城県つくば市で自立生活をしながら「東京インクルーシブ教育プロジェクト(TIP)」代表を務める川端舞さん(31)と、群馬県内で性的少数者の居場所づくりなどに取り組む「ハレルワ」代表理事の間々田久渚さん。2人は高校時代の同級生だ。 脳性麻痺のため運動障害と言語障害がある川端さんが、体をよじらせながらイベントを企画した理由を懸命に語り始める。講演内容はプロジェクターで表示されていたが、集まった人たちは川端さんの口から発せられる言葉を直接聞き取ろうと前のめりになった。 「間々田は生まれたときは女性を割り当てられましたが、今は男性として生きるトランスジェンダーです。高校時代、私はそのことを全く知りませんでした。しかし、高校卒業後10年以上経ってから、子どもの頃、お互いにどう生きてきたのかを語り合う仲になりました。話すうちに、障害児とLGBTQの子が学校で過ごしづらさを感じている背景には同じ問題があるはずだと思うようになりました」
川端さんにとって小・中学校はただただつらい場所だった。小学校入学時に特別支援学校を強く勧められたが、両親の強い希望で地域の学校の普通学級に通う。しかし、地域の学校は障害児がいないことを前提につくられており、幼い川端さんは「障害のある自分は本当はここにいてはいけないんだ」と思っていた。 小学時代は教師に話しかけても聞いてもらえず、クラスメイトに何か手伝ってもらうと「なぜ介助員にやってもらわないんだ!」と叱られた。中学時代には、介助員から虐待も受けた。「小1から中1までの7年間、同じ人が介助員をしていたのですが、中2の時に介助員が代わりました。その頃、初めて生理になり、一人ではできないので新しい介助員にトイレ介助を頼んだのですが、『汚い』『くさい』などと言われてしまった。以後、手伝ってもらうのが怖くなり、一人で壁をつたい何度も転びながらトイレに行っていました」 それでも当時は「障害がある自分が悪い、生理になった自分が悪い」と思っていた。他にも階段から毎日のように落とされたが、こうした異変に気づいて川端さんに事情を聴こうとする教師は一人もいなかった。本気で死にたいと思った。「おそらく当時の私は透明人間だったんだと思います。あのまま自殺したら、存在ごと忘れ去られるような……」と振り返る。 しかし、介助員なしで通学した県立高校で学校生活は大きく変わる。入学前に当時の教頭から「自分からどんどん友達に手伝ってもらいなさい」と言われ、「手伝ってもらっていいのか」と驚いた。通学し始めると、小中学校時代と違って教師は直接話しかけてくれたし、クラスメイトとの距離も縮まった。間々田さんもその一人だ。