まずはお互いを知る機会を――インクルーシブ教育を目指す、障害当事者たちの声 #令和の人権
「インクルーシブ教育の実現」を目指す障害当事者が増えている。彼らは「すべてを包み込むこと」を意味するインクルーシブとは遠くかけ離れた環境で、差別や虐待を受けながら育った。そんな思い出したくない過去に必死に向き合いながら、教育の問題に声を上げるのはなぜか。当事者たちの声を追った。(文・写真:ジャーナリスト・飯田和樹/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「自分の希望ってあんまり言ったらあかんとも思っていた」
「なんで自分でやるん? 頼めばええやん」 アテンダント(介助者)からかけられた強めの言葉に、当時23歳で自立生活を始めたばかりだった兵庫県西宮市の数矢雄さん(35)は思わず固まってしまった。目の前には、スナック菓子が飛び散らかっている。脳性麻痺の特性で全身に筋緊張があるため思うように体を動かせず、袋を開けようとして中身をぶちまけたのだ。失敗したことで頭がいっぱいになり何も言えずにいると、その場の空気がどんどん悪くなった。 「大学卒業後、自立生活を始めた頃は、こんな失敗ばかり。いろんなものをあちこちでぶちまけました。言語障害があるから、何かを伝えるのに時間がかかるし、聞き返されることに対する恐怖もある。だったら無理してでも自分でやったほうが気を使わなくて済む分だけ、面倒くさくない。自分の希望ってあんまり言ったらあかんとも思っていた」
障害を抱えた人の多くは、自立生活をする上で介助者の存在が欠かせない。ただ、黙っていても介助者が何かをしてくれるわけではない。あくまで何をするかを決定するのは自分自身。やりたいことをするためには、介助者への指示が不可欠だ。でも、数矢さんはなかなかうまく指示ができるようにならなかった。「なぜなんだろう……」 答えが自分なりに見つかったのは2017年ごろ。障害の有無などにかかわらず地域で共に学ぶ「インクルーシブ教育」を広げる取り組みに携わるようになってからだ。勤務先の自立生活センター「メインストリーム協会」の先輩に誘われ、受け身で始めた活動だった。インクルーシブ教育の中身を知るほどに、自分が障害児を健常児から分ける分離教育を受けていたことを実感する。 地域の小学校の支援学級に在籍していた数矢さんは、普通学級の同級生と会話することもなく、一緒に遊びたくても思うように体が動かず輪に入れてもらえなかった。たまに優しい人に声をかけてもらうのを待つばかりで、気持ちを察してもらえるときはいいが、察してもらえないときは我慢するのが当たり前。誰かに何かを頼むことはなかった。 「他の子どもたちと分けられて育ったことが、現在の自分の欠点につながっているのでは?」